司法試験の勉強会

現役弁護士が法学部一年生向けに本気の解説をするブログです。

仲介者の錯誤とは?わかりやすく解説

一 仲介者


仲介者とは,本人と相手方の間に立って,本人のために自ら意思表示をし,または,本人の内心の効果意思を相手方に表示し,もしくは,本人の完成した意思表示を相手方に伝える者である。第一の場合は通常代理人(民法九九条)であり,第二は表示機関たる使者,第三は伝達機関たる使者である。


二 錯誤


錯誤(九五条)とは,意思表示において,表示と真意に不一致があり,それを表意者が意識しないことである。意思の形成過程で生じる動機の錯誤と,決定した意思を表示する過程で生じる表示行為の錯誤に分けられる。表示行為の錯誤は,さらに,表示行為の意義を誤る内容の錯誤と,表示行為自体を誤る表示上の錯誤に分けられる。


三 仲介者の錯誤


1 代理人の錯誤
代理人のなした意思表示につき,代理人に錯誤があれば,その意思表示は無効である(一〇一条一項, 九五条)。この場合は,あらゆる錯誤の問題が生じるが,代理人の意思表示の効果帰属主体は本人であるから,代理人の錯誤が,法律行為の要素にあたるか否かについては,本人の事情を基準として決すべきである。
2 表示機関たる使者の錯誤 
内心的効果意思は,すでに本人によって形成されているから,動機の錯誤の問題は起りえず,表示行為の錯誤に限られる。例えば,本人から,ある土地の売却申込の意思表示をするように依頼された使者が,何らかの理由で,賃貸の申込をし,相手方との間で賃貸借契約が成立した場合である。使者の表示と本人の内心的効果意思との間に不一致があるから錯誤となる。その場合,相手方の事情と本人側の事 情とを総合的に考慮し,表見代理の規定を類推適用し,あるいは,一般的な表見法理を適用し,相手方を保護すべき場合も生じよう。
3 伝達機関たる使者の錯誤
意思表示は,すでに本人によって完成されているから,意思表示の錯誤の問題は生じない。この場合は,意思表示の不到達の問題であり,意思表示の効力は発生しない(九七条一項)。例えば,本人が使者に,意思表示の内容が書いてある手紙を相手方に届けさせようとしたところ,使者が,相手方と同姓の別人の郵便受に投函してしまったような場合である。

 

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憲法第七六条第二項についてわかりやすく解説

一 はじめに


憲法七六条は,司法の章の冒頭に位置し,同条一項は,「すべて司法権は,最高裁判所及び法律の定 めるところにより設置する下級裁判所に属する。」と規定する。
これは,四一条,六五条とともに,三権分立を定めた規定である。七六条一項にいう下級裁判所とは,最高裁判所に対する概念であるから, 司法権は,最高裁判所の系列下の裁判所に帰属することになる。
いうまでもなく,公正,平等な裁判の 確保を保障する趣旨である。この一項をうけて,二項前段は,「特別裁判所は,これを設置することが できない。」,後段は,「行政機関は,終審として裁判を行ふことができない。」と規定する。


二 特別裁判所の禁止(二項前段)

一般に,特別裁判所とは,特定の身分の人,若しくは,特殊の事件,または,非常の際に生じる事件について裁判するために,通常裁判所の系列外に設けられる,常設または臨設の裁判所である。
憲法は,この意味の特別裁判所の設置を容認した(同法六〇条)。軍法会議や皇室裁判所がそれである。これに対し,現行憲法七六条一項は,司法権が,最高裁判所の系列下の裁判所に属することを規定するから, 右の意味における特別裁判所の設置は,一項が禁止するところである。
したがって,二項前段は,一項 の規定の趣旨を,別の角度から明確にしたものと解される。なお,最判昭三一・五・三〇刑集一〇・五・ 七五六は,上告人の,家庭裁判所は特別裁判所にあたるという論旨に対して,家庭裁判所は,「一般的 に司法権を行う通常裁判所の系列に属する裁判所として裁判所法により設置されたもの」であるから, 特別裁判所にはあたらないと判示している。


三 行政機関の終審裁判の禁止(二項後段)

 

七六条二項後段は,行政機関の裁判が終審となることを禁ずる。行政機関の裁判が終審となることを容認すると,その裁判は,最高裁判所の系列外で処理されることになるから,七六条一項の許すところではない。したがって,二項後段も,二項前段同様,一項の原則から導くことができる。
二項後段は, むしろ,行政機関に前審の機能を認めたことに意義がある。
現代社会において,行政の機能が極めて拡大し,行政をめぐる紛争の一部は,高度に専門化,技術化した。これを適切かつ迅速に解決するためには,専門的な知識と経験を有する行政機関に前審の機能を果させることが好ましい場合があることは, 否定できないところである。行政機関の裁判にあたるものとしては,公正取引委員会の審決,特許庁審判官の審決,海難審判庁の裁決などがある。
ところで,専門知識を有する行政機関は,その知識を生かし,裁判官には困難な事実認定を行うことを期待されるが,その事実認定は,あくまで行政手続によるものであるから,行政機関の事実認定に対して,裁判官が全面的に拘束されるとすると,裁判所に終審の権能を留保した意味が失われる。
この問題の調整をはかる方法として,実質的証拠法則の採用がある。
これは,アメリカの判例法上確立したも ので,日本においては,独占禁止法等が採用している(独占禁止法八〇条等)。この原則は,行政機関の事実認定が,実質的証拠に基づくものであれば,その認定は裁判所を拘束するというものである。しかし,独占禁止法のような明文の規定がない場合もあり,裁判所が,行政機関の事実認定についてどの程度再審査すべきであるかという点は,困難な問題である。

国会の両議院の組織について解説

 一 はじめに
憲法四二条は,「国会は,衆議院及び参議院の両議院でこれを構成する。」と規定し,これをうけて, 四三条一項は,「両議院は,全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。」と規定する。旧憲法 においても二院制が採用され,三三条は,「帝国議会貴族院衆議院ノ両院ヲ以テ成立ス」と規定し,三 五条は,「衆議院ハ選挙法ノ定ムル所ニ依リ公選セラレタル議員ヲ以テ組織ス」と規定したが,同時に, 三四条は,「貴族院貴族院令ノ定ムル所ニ依リ皇族華族及勅任セラレタル議員ヲ以テ組織ス」と規定 した。二つの憲法における両議院の組織を比べると,いわゆる第二院の議員の選ばれ方が,全く異なることがわかる。


二 両議院の組織
1 両議院を組織する議員
(一) 両議院の議員の資格
憲法四四条本文は,両議院の議員の資格(被選挙権)を法律事項とし,さらに,同条但書で平等原則を貫いている。四四条をうけて,公職選挙法一〇条は,被選挙権の積極要件として,日本国民であり,かつ,衆議院議員については年齢満二五年以上の者,参議院議員については年齢満三〇年以上の者である ことを規定している。
(二) 両議院の議員定数
両議院の議院定数も法律事項である(憲法四三条二項)。これをうけて公職選挙法は,衆議院議員定数を五一一人(四条一項,同法附則二項),参議院議員の定数を二五二人(うち一〇〇人は全国,一五二人は地方選出議員。四条二項)と定めている。
(三) 両議院の議員の任期
衆議院議員の任期は四年で,衆議院解散の場合には,その期間満了前に終了する(憲法四五条)。参議院議員の任期は六年で,三年ごとに議員の半数が改選される(四六条)。
2 両議院の議員の選挙
(一) 選挙人の資格
憲法四四条本文は,両議院の議員の選挙人の資格(選挙権)を法律事項とし,さらに,一五条三項で,成年者による普通選挙を保障したうえ,四四条但書でその趣旨を徹底させている。以上をうけて,公職選挙法九条一項は,選挙権の積極要件として,日本国民であり,かつ,年齢満二〇年以上の者であることを規定している。
(二) 選挙に関する事項
憲法四七条は,選挙区,投票の方法,その他両議院の議員の選挙に関する事項を法律事項とし,公職選挙法がこれを具体化している。


三 両議院の組織の比較
以上みてきたところによれば,両議院の組織について憲法上の差異があるのは,任期と解散の有無のみである。法律上の差異としては,被選挙権の年齢制限,定数,全国区制の有無である。これらの点か ら,両議院を組織の面に限って比較すると,参議院衆議院に対する特質として,院を構成する議員の 身分の永続性と安定性,院自体としての継続性があげられる。そこで,組織の点に限って参議院の存在意義をみると,衆議院の解散後,新国会の成立前に生じた緊急の事態に,立法機関として対処すること にあるといえる。参議院の緊急集会は,このための制度である(五四条二項但書)。


四 両議院の組織の運営
二院制を採用する以上,それぞれの議院は,他の議院から独立して組織され,かつ運営されなければならない。そこで,憲法は,一つの院の議員が他の院の議員になることを禁じるとともに(四八条),組織の構成員たる議員の資格に関する争訟の裁判と役員の選任について,院の自主制を認め(五五条,五八 条一項),さらに,院の組織の規律に関する規則制定権を,各院に与えた(五八条二項)。

 

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売買契約の履行不能とは?わかりやすく解説

問 特定物売買契約において,その契約締結後に,売主の債務の全部または一部が履行不能となった場合の当事者間の法律関係について説明せよ。 

 

一 はじめに

特定物の売買契約締結後に,売主の債務が履行不能となった場合の当事者間の法律関係については, その履行不能が売主の責に帰すべき事由に基づく場合と,売主の責に帰すべからざる事由に基づく場合とに分かれる。


二 売主の責に帰すべき事由に基づく場合


1 買主は,売主に対し,損害賠償を請求することができる(民法四一五条)し,また,当該売買契約を解除する(民法五四三条)こともできる。

履行不能を理由として請求する損害賠償は,目的物に代わる損害の賠償,即ち,填補賠償である。したがって,賠償を請求しうる損害とは,全部不能の場合には目的物の交換価格が原則であるから,通常, 当該売買契約における売買価格ということになろう。 問題となるのは,一部不能の場合である。売主の債務が不可分であるか,可分であっても履行可能な部分が僅少であって売買契約の目的を達することができないときは,買主は履行可能な部分の受領を拒 み,全部についての填補賠償を請求しうるが,そうでない限り,履行不能になった部分に該当する填補賠償を請求しうるに止まると解するのが通説である。

3 履行の全部または一部が不能となったときは解除しうるとされているが,そもそも解除の趣旨は,債務の不履行があるのになお相手方を契約に拘束しておくと相手方に損害の生じるおそれがあって適当でない場合にその契約から解放して保護することにあるから,債務の一部が履行不能となっても,残部の履行により当該売買契約の目的が達成できる場合には,売買契約全部を解除することはできず,履行不能になった一部分についてのみ解除権が生じる。 なお,解除しうる場合には,催告という手続き要件は不要である。

4 ところで,履行不能になれば,買主は解除しなくても損害賠償を請求できるが,解除しない場合には自己の債務(代金支払い義務)を免れることはできない。これに対し,解除した場合には自己の債務を免れるが,損害賠償額の算定に当たっては,解除により免れた反対給付の価格を控除する必要が生じるこ とになり,いずれにしても同じ結果となることになる。


三 売主の責に帰すべき事由によらざる場合


1 これに該当するものとして,買主の責に帰すべき事由による場合と,不可抗力による場合とが考えられるが,いずれの場合にも危険負担の問題となる。

2 危険負担の問題とは,双務契約において一方の債務が履行不能になった場合に相手方の債務が残存するか否かということであるが,これには,相手方の債務も消滅するという債務者主義と,相手方の債務 は消滅しないという債権者主義があり,民法は特定物に関する物権の設定又は移転を目的とする双務契約については債権者主義を採っている(五三四条一項)。 したがって,特定物の売買契約である本件においては,買主が危険を負担し,履行不能が全部であろ うと一部であろうと,売主に対し,売買代金を全額支払わなければならないことになる。

3 ところで,債権者主義の根拠としては,例えば売買契約の締結により,買主は目的物の価格の騰貴による利益や他に転売することによる利益をあげうるのであるから,反対に目的物の棄損ひいては滅失に ついてもその損失を甘受すべきであるとか,売買契約により所有権が移転するから危険も移転するとか言われている。しかしながら,買主は目的物の価格降下の不利益も受けるのであるから目的物の滅失等まで負担を負わせるのは公平ではなく,また,そもそも価格の騰貴と目的物の滅失とを対比させるのは不合理であること,観念的所有権が移転しても対抗要件を具備しないうちに危険を負担させるのは公平に反すること,双務契約によって生じる両債務は互いに密接な関係を有し,成立上及び履行上の牽連性が認められることに照らすと存続についても牽連性を認めるのが妥当であることを指摘して,債権者主義の適用範囲をできるだけ制限すべきであるという有力説がある。そして,特約のない限り,買主が目的物についての支配を収めたと認められる時,例えば,引渡,登記,もしくは代金支払いのなされた時, または当事者が所有権移転時期あるいは果実収取権移転の時期を定めた時はその時から,買主に危険が移転すべきであるとしている。 したがって,この説に従えば,右のような事情によって,目的物の支配が買主に移転した後に売主の債務の履行が不能になった場合には買主は自己の債務を免れず代金を支払う義務を負うが,目的物の支 配が買主に移転する前に売主の債務の履行が不能になった場合には買主は自己の債務を免れ,代金を支 払う義務はないことになる。 

4 なお,買主が危険を負担する場合,売主が債務を免れたことによって得た利益があれば,これを買主に償還すべきであるし,また,履行不能と同一の原因によって売主が目的物の代償と考えられる利益を得た場合(例えば火災保険金)には,買主は売主に対し,履行不能によって買主が被った損害の限度においてその利益の償還を請求しうるとされている。

 

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憲法三一条について解説

一 本条の趣旨


憲法三一条は,「何人も,法律の定める手続によらなければ,その生命若しくは自由を奪はれ,又は その他の刑罰を科せられない。」と規定する。同条は,その文言や,規定の位置が三二条以下の司法手 続とりわけ刑事手続上の人権保障規定の冒頭にあるということから,刑事手続上の人権についての総則 的な規定ということができる。その具体的な保障内容については,同条が沿革上,アメリカ合衆国憲法 の修正五条及び一四条のいわゆるデュープロセス条項と密接なつながりがあることとも関連づけて,さまざまに議論されているところである。


二「法律に定める手続」


本条にいう「法律の定める手続」の意味については,1科刑手続の法定とする説,2科刑手続の法定 とその内容の適正とする説,3科刑手続と実体要件の法定とする説,4科刑手続の法定とその内容の適 正及び実体要件の法定とする説,5科刑手続及び実体要件の法定とその内容の適正とする説などの諸説 がある(5が通説とされており,判例も後に紹介する諸判例を総合すれば同様の立場と思われる)。科刑 手続,実体要件のそれぞれについて法定と内容の適正に分けて順次検討していくことにする。

1 科刑手続の法定
科刑手続が法律で定められなければならないことは,本条の文言から明らかである。 ここでの「法律」とは,形式的意味の法律を指し,政令,命令,条例を含まない。 この点に関し,憲法最高裁判所に「訴訟に関する手続」について規則制定権を認めている(七七条一 項)ので,最高裁判所規則との関係が問題となる。七七条が無留保に規則事項を規定していることからこ こでの「法律」には裁判所規則も含むという説,刑事手続の基本的事項は法律で定める必要があり技術的・細目的な事項のみ規則で定めることができるという説などがある。

2 科刑手続の適正
(一) 適正性の保障の有無 本条は,「法定」のみを定める趣旨で,「適正」までは要求していないという見解(前記1,3説など) の根拠としては,本条には単に「法律の定める」とあるのみで,(合衆国憲法と異なり)「 適正な」という文言は見当たらないこと,三二条以下に詳細な人権保障規定があることから本条を広く解釈する必要が ないことなどが挙げられる。 しかし,憲法が人権尊重主義の立場をとり,その人権保障体系の中で本条が刑事手続上の人権保障の 総則的規定であることを考えると,科刑手続を法律で定めさえすれば,いかなる内容でも構わないとい うものではない。また,科刑手続の適正性の問題がすべて他の条項によって早くされているとは断言で きない。したがって,本条は法定の科刑手続の内容が適正であることをも要求すると考えるべきである。
(二) 適正性の内容 科刑手続の適正性の具体的内容として,主として挙げられるのは,告知・聴聞・防禦の原則,すなわ ち公権力が国民に刑罰その他の不利益を科するときは,当事者に対して予めその内容を告知し,当事者 がそれについて弁解したり防禦する機会を与えなければならないということである。 前述のとおり三二条以下に刑事手続上の人権についての具体的な規定があるので,科刑手続の適正性 についても,これらの規定によってカバーされる場合にはこれらが適用されることになる。これらの規 定は相当詳細なので三一条が直接適用される場面はさほど多くはないが,第三者の所有物をその所有者 に対し告知・弁解・防禦の機会を与えずに没収することは,適正な法律手続によらないで財産権を侵害 する制裁を科するにほかならないとして,当時の関税法一一八条一項による第三者所有物の没収を憲法 三一条,二九条に違反するとした判例(最大判昭和 37・11・28 刑集一六巻一一号一五九三頁)は,その一例である。

3 実体要件の法定
本条は,文言上「手続」とのみ規定し,実体要件についての明示はない。しかし,憲法基本的人権 の保障を基本原理としており,罪刑法定主義は人権の保障に関する重要な原則である。そして,本条が 刑事手続上の人権保障の総則的規定であり,他に明示的に罪刑法定主義を定める規定が存在しないこと からすれば,本条が明示する手続法定主義の前提として,手続の前提となる実体法上の要件の法定すな わち罪刑法定主義をも,本条が保障していると解すべきである(この点,遡及処罰の禁止(三九条),政令 による罰則についての法律による個別的委任の必要性(七三条六号但書)から罪刑法定主義を黙示的に導 き出すことができるとの見解もあるが,それでは,このような重要な原則が憲法上黙示的にしか定めら れていないということになり,そのような解釈には疑問が残る。)。 したがって,実体要件も「法律」の定めが必要である。ここでの「法律」は,形式的意味での法律を 指す。法律による個別的,具体的な委任があれば政令など法律以下の法令で刑罰を定めることもできる (政令につき,七三条六号但書)。 条例も,法律以下の法令であるが,公選議員で組織される地方公共団体の議会の議決による自治立法 で,国会の議決を経て制定される法律に類するものであるから,政令等の場合とは異なり,法律の授権 が相当な程度に具体的であり,限定されていればよい(最大判昭和 37・5・30 刑集一六巻五号五七七 頁)。

4 実体要件の適正
本条に「適正」の文言がないことはすでに述べたが,本条の規定上の位置,実体要件の適正の問題が すべて他の人権規定で早くされているとは断言できないこと,実体要件の法定だけが必要で適正性は含 まれないというのは整合的でないことなどから,本条は実体要件の適正をも要求するものと解される。 ただ,憲法には一三条以下に詳細な人権規定があり,これらによってカバーされる問題についてはそ れらの規定によるべきである。そこで,通常ここで問題となるのは,刑罰法規の明確性の問題と犯罪と 刑罰の均衡の問題である。
(一) 刑罰法規の明確性 刑罰法規があいまい不明確の場合には三一条に違反するが,その違反の有無は,通常の判断能力を有 する一般人の理解において,具体的場合に当該行為がその適用を受けるものかどうかの判断が可能な基 準が読みとれないかによって決する(最大判昭和 50・9・10 刑集二九巻八号四八九頁〈徳島市公安条 例事件〉,最大判昭和 60・10・23 刑集三九巻六号四一三頁〈福岡県青少年保護育成条例事件〉)。
(二) 罪刑の均衡 判例は「刑罰規定が罪刑の均衡その他種々の観点からして著しく不合理なものであって,とうてい許 容しがたいものであるときは」違憲となるとする(最大判昭和49・11・6刑集二八巻九号三九三頁
猿払事件〉)が,根拠条文の明示がない。学説は,本条の問題とするものと,三七条の問題とするものが ある。


三「生命若しくは自由を奪はれ,又はその他の刑罰を科せられない」


本条の適用があるのは,固有の意味の刑罰であるが,秩序罰,執行罰としての過料や,精神保健法上 の入院措置などのような身体の自由を奪うような行政処分にも適用ないし準用が認められる。 さらに進んで,行政手続一般に本条の適用ないし準用があるかが問題である。 本条が行政手続にも適用ないし類推適用されるとする見解が通説と思われる。その理由としては,本 条の背景ないし根底にある適法手続の思想は,アメリカでは当然に行政手続にも及ぶとされていること, 現代国家における行政権の拡大強化の傾向が顕著で,行政手続を手続的保障の範囲外におくのでは人権 保障の重要な部分が失われることなどが挙げられる。 これに対して,本条は刑事手続に関する規定であって,行政手続の適正は一三条の問題であるとする 見解も有力である。 裁判例としては,いわゆる個人タクシー事件の第一審が,一三条,三一条は「国民の権利,自由が実 体的のみならず手続的にも尊重さるべきことを要請する趣旨を含む」としたが,同事件の上告審は,憲 法に言及せずに行政処分について公正な手続を要求する判断をしている(最判昭和 46・10・28 民集 二五巻七号一〇三七頁)。

 

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売買契約と錯誤とは?事例問題を交えてわかりやすく解説

 甲(満一八歳)は,法定代理人乙の同意を得ないまま,自己所有の A 土地を丙に売却するとともに丙への所有権移転登記をすませたが,後日そのことを知つた乙は,丙に対し,甲丙間の右売買契約を取り消す旨の意思表示をした。ところが,丙は,右取消の意思表示を受けた後,自己が A 土地の登記名義人であることを利用して A土地を丁に売り渡し,所有権移転登記もすませてしまった。丁が A 土地を買い受けたのは,実は A 土地の隣りにある B 土地を A 土地であると思い違いしたためであったが,丁としては A 土地を買つた以上それでよいと思ている。
右の場合において,甲は,丁に対し,自己が A 土地の所有権者であると主張することができるか。

 

 一 事案の分析

(1) 甲丙間の売買契約
甲丙間の売買契約の当時者である甲は,未成年者である(民法三条)。未成年者が,法定代理人の同意を得ずになした法律行為は,取消すことができる(四条)。乙は甲の法定代理人であるから,甲丙間の売買契約を取消すことができる(一二〇条)。乙が取消権を行使すると,甲丙間の売買契約は,初めから無効であったものとみなされる(一二一条本文)。しかし,取消前は有効であり,民法は物権の変動につい て意思主義を採用するから(一七六条),A 土地の所有権は,甲丙間の売買契約によって,一旦丙へ移転する。丙は,移転登記を経由することにより,対抗要件を取得する(一七七条)。

(2) 丙丁間の売買契約と丁の錯誤
丙が A 土地につき移転登記を経由した後,乙が甲丙間の売買契約を取消すと,A 土地の所有権は,直ちに甲へ復帰する(一二一条本文,一七六条)。この A 土地所有権の甲への復帰も,物権変動の一種と解されるから,登記を経由していない甲は,A 土地を買受けて所有権移転登記をすませた丁には対抗でき なくなる(一七七条)。 しかし,甲丁間に対抗問題が生じるとしても,甲にとって丁が一七七条の第三者にあたるか否かは, さらに検討を要する問題である。一七七条自体は,第三者について何らの制限も加えていないが,公示の原則は,排他性を有する物権に関する取引の安全を目的とするものであるから,登記の欠缺を主張するにつき正当な利益を有しない者は,ここでいう第三者から除かれると解される。したがって,かりに, 丁が実質的には無権利者であるとすれば,丁は,一七七条の第三者にはあたらないことになる。 ところで,丁は,内心では A 土地ではなく B 土地を買い受けたものと思っていた。土地の売買において,当事者は,通常当該土地の個性に着目する。したがって,売買の目的物である土地の同一性につい て,内心の意思と,表示から推断される意思との間に,くいちがいがあれば,要素の錯誤となる。要素 に錯誤のある意思表示は無効である(九五条本文)。
このように考えると,丁の A 土地所有権取得行為は,丁の錯誤によって無効となり,甲は,登記なくして丁に対抗できるのではないかという疑問が生じてくる。

(3) 甲による丁の錯誤の主張
丁は,A 土地を買い受けるに際して,土地の隣りにある B 土地を A 土地であると思い違いをしたにもかかわらず,A 土地を買った以上それでいいと思っている。丁がそのように思った理由については,いろいろと考えられる。かりに,丁が A 土地の個性に着目していなかったためであるとすれば,もともと要素の錯誤とはならず,一七七条の第三者の制限の問題は生じない。これに反して,丁が A 土地の個性に着目して買い受けたとしても,丁としては,思い違いをしたことについて,重大な過失があるため, 錯誤無効の主張しないのかもしれないし(九五条但書),とにかく土地が手に入ったのだから,紛争を起したくないと思っているのかもしれない。そこで,意思表示の要素に錯誤があるにもかかわらず,表意者である丁が,意思表示の無効を主張しない場合に,第三者である甲が,丁の意思表示の無効を主張できるか否かが問題となる。


二 本問の結論


民法九五条本文は,錯誤によって意思表示をした者の保護を目的とする規定である。したがって,表意者よりも相手方の利益を保護すべき事情があるときは,表意者は無効を主張できなくなる(同条但書)。 九五条の無効の趣旨をこのように考えると,法律行為の当事者でもない第三者が,たまたま当事者に錯誤があったことをとらえ,表意者自身は錯誤を主張せず,あるいは主張できないのにもかかわらず,その無効を主張して自己の利益を図ることを認める理由はない(最判昭四〇・九・一〇民集一九・六・一五 一二)。
したがって,甲にとって丁は一七七条の第三者となり,甲は,丁に対し,自己が A 土地の所有権者であると主張することはできない。

 

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能力のない人が犯罪を犯した場合、刑事責任は問われない?「不能犯」について現役弁護士が事例問題を解説

甲は,寝たきりのAを殺害しようと企て,金属バットでAの頭部を強打し,頭蓋骨を陥没骨折させた。ところが,Aは,既に病気で死亡してしまっていた。甲の刑事責任について論ぜよ。 

不能犯とは

本問では,いわゆる不能犯の成否が主として問題となる。不能犯とは,犯人が犯罪事実の実現を企図してその実現のための外部的動作をしたが,その行為が結果を発生させる危険性を有しないために不可罰とされる場合である。犯罪的結果の惹起を企図してその実行に着手したが,結果の発生には至らなかった場合,未遂処罰規定が存する限り未遂犯として処罰されることになるが,それは,実行の着手によって結果発生の具体的危険を生ぜしめたことによる。ところが,不能犯の場合には,その行為に結果発生の危険性がなく,およそ実行に着手したとはいえないが故に不可罰とされるのである。 従って,本問では甲の行為にかかる「危険性」があるか否かを検討し,これがあれば殺人未遂,なければ殺人については不能犯となり,後は死体損壊罪の成否が問題となろう。

不能犯と未遂犯の区別の標準

右のように,未遂犯と不能犯との違いは,犯人が犯罪的結果を企図して行った行為につき,結果発生の危険性があるか否かという点にあるわけだが,いかなる場合に「危険性」があるといえるのかという点については未遂犯の処罰根拠ともかかわって種々の見解が対立している。これらは,まず,行為者の主観面の危険性を判断すべきだとする主観説と,行為の客観的危険性を判断すべきだとする客観説に大別され,さらに,危険性判断の基準を何に求めるかで,主観説は純主観説と主観的危険説に,客観説は具体的危険説と客観的危険説に,それぞれ二分されるといえよう。

純主観説 

未遂犯の処罰根拠を行為者の意思の危険性に求めるもので,犯意の現れといえる行為がある以上,すべて未遂になるとする。原則として不能犯を認めない立場といえる。ただ,丑の刻参りのようないわゆる「迷信犯」だけは不可罰とするが,その論拠は必ずしも明確ではない。

主観的危険説(抽象的危険説) 

やはり,未遂犯の処罰根拠を犯人の意思ないし計画内容という主観面の危険性に求めるもので,行為者が行為当時認識していた事情を基礎とし,行為者が予期したとおりに計画が進んだならば,一般人の目から見て結果発生の危険があるか否かを判断し,危険がある時は未遂,ない時は不能犯とする。計画の危険性を一般人を基準として客観的に判断する点においてやや客観説に近づいているといえるが,判断の基礎事情はあくまで行為者の認識したものであるため,その帰結としては,迷信犯につき,一般人から見て危険ではないということで,不可罰性が明確に理由付けられるという程度で,結論的には 1 説 との違いはない。

具体的危険説

行為時に,一般人が認識し得た事情及び行為者が特に認識した事情を基礎とし,一般人を基準に行為の具体的危険性の有無を判断する立場である。行為の客観的危険性を問題とする結果,行為者本人の主観ではなく,一般人の評価を基礎とすることになる。ただし,一般人が知り得ないような事情を特に知っている犯人が,それを利用して犯行に及ぶような場合(例えば,被害者が重度の糖尿病患者である場合に,その事情を知っている被告人が被害者に砂糖を飲ませて殺そうとする場合)に,これを不能犯とするのは不当であるから,行為者が特に認識していた事情も基礎事情に加える。今日の通説的見解といえよう。

客観的危険説(絶対不能・相対不能説)

行為時に客観的に存在した全事情を基礎として,行為を事後的に観察し,その客体または手段の性質からみて結果の発生が絶対的に不能の場合は不能犯であり,特定の状況下において相対的に不能であるにすぎない場合は未遂であるとする立場である。一般人が認識し得るか否かにかかわらず,ともかく行為の際に存在した客観的事情のすべてを基礎事情として,事後的・科学的な立場から行為の危険性を判断するという点において具体的危険説と異なり,より判断の客観性を徹底するものといえよう。

判例

判例は,少なくとも形式上は絶対不能か相対不能かによって,不能犯と未遂犯とを区別している。硫黄の粉末を飲ませて人を殺そうとした事案につき,大審院は,その方法が「絶対的不能」に属するから, 殺人罪としては不能犯である旨判示しているが(大判大六・九・一〇),硫黄を飲ませる行為が一般人には危険感を生ぜしめるであろう点に鑑みれば,右判例は実質的にも絶対不能・相対不能の考え方をとっ たものといえる。しかしながら他方において,懐中物のない者からこれを奪取しようとした事実につき,「通行人が懐中物を所持するが如きことは普通予想しうべき事実」であることを理由に未遂犯の成立を認めた判例(大判大三・七・二四刑録二〇・一五四六)や,下級審においても,本問と同様の死体への殺人の事案につき,「一般人も当時その死亡を知りえなかったであろうこと」を理由として未遂犯の成立 を認めた判例(広島高判昭三六・七・一〇高刑集一四・五・三一〇)があり,これらはむしろ具体的危険説の判断方法に従ったものとみることができよう。

検討

以上の考え方のうちいずれが妥当か。 まず,純主観説及び主観的危険説は,主観主義の刑法理論を基礎とし,未遂犯の処罰根拠を行為者の意思の危険性に求めるその前提において既に採用できない。 では,具体的危険説と客観的危険説のいずれが妥当か。両説の対立は違法性の本質をどう捉えるかという議論と結びつくもので困難な問題である。つまり,違法性の本質を「法秩序の基底となっている社会倫理的な規範に反すること」に求める立場からは,行為の危険性を考えるうえでも,社会の一般人がどう感じるかという観点が用いられるのに対し,これを「法益の侵害ないしその危険」のみに求める立場からは,事後的に判断してみて,法益侵害の結果発生の危険性が客観的に存在しない限り不能犯とすべきだとの考え方に結びつくのである。

事案の検討

本問の事案について,まず,具体的危険説によれば,行為当時,甲はAがまだ生さていると思っているわけだが,その時のAの外貌等諸々の状況からみて,一般人においてもやはりAは生きていると考えるであろう場合には殺人未遂となるが,一般人には死体であることが知り得るのに,何らかの事情で甲のみがAはまだ生きていると勘違いしている場合には殺人につき不能犯となる。他方,客観的危険説によれば,行為時に既にAは死んでいたという事後に判明した事情に基づき,客観的に判断することになるから,結果の発生は絶対不可能であり,殺人につき不能犯となる。 次に,殺人につき不能犯とされた場合,甲の行為は客観的には死体損壊罪の実行行為にあたるところから,その罪責が問題となるが,この場合,甲の予見した事実(殺人)と発生した結果(死体損壊)とのくい違いが,異なる構成要件にまたがることになり(抽象的事実の錯誤),しかも両構成要件間には同質性が認められないから,結局,事実の錯誤につき,いわゆる抽象的符合説の立場に立たない限り,故意が否定され死体損壊罪は成立しないことになる。事実の錯誤の場合に故意の成否を定める基準に関しては, 具体的符合説,法定的符合説,抽象的符合説の対立があり,各説の詳細は各人の検討に委ねるが,判例・ 通説は法定的符合説であり,これに従えば,本問の場合は無罪となる。

 

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