司法試験の勉強会

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事実の錯誤とは?わかりやすく解説

第一問 甲は,自動販売機から金をとろうと考え,合鍵を用いて自動販売機の扉を開けていたとこ ろ,たまたま付近を通りかかった乙から「何をしているのか。」と声をかけられたので,捕まっ ては大変だと思い,持っていたドライバーを乙の顔目掛けて投げ付け,何も取らずに逃走した。 ところが,そのドライバーは,乙の顔をかすって,乙の後ろを歩いていた丙の頭に当たったため, 丙はこれが原因で死亡し,乙は軽い傷を負った。
甲の刑事責任について論ぜよ。

 

 

一 序論
甲は,自動販売機から金を盗ろうと考えて合鍵を用いて自動販売機の扉をあけていたのであるから, 甲には窃盗の実行の着手が認められる。実行の着手時期については議論があるが,本件の場合に実行の着手を認めることには異論がないものと考えられる。
そこで,窃盗犯である甲が,乙から声を掛けられ「捕まっては大変だと思い」,つまり,逮捕を免れるため乙に対してドライバーを投げ付けるという暴行を加えたのであるから,事後強盗(刑法二三八条) の成否を考えなければならない。
事後強盗の暴行の相手方は窃盗の被害者である必要はなく,窃盗行為を目撃して追跡してきた者であってもよいから(大判昭八・六・五集一二・六四八),本件のように甲の行動に不審を抱き声を掛けてきた者でも構わないであろう。
事後強盗を認めるためにどの程度の暴行・ 脅迫を必要とするかについても議論があり,学説上,一応,通常の強盗罪と同様反抗を抑圧(逮捕遂行の 意思を抑圧)する程度の暴行・脅迫を必要とすると言われているが,他方,これから財物を奪おうとする場合とはおのずからニュアンスの違いがあり,僅かながら程度の軽いもので足りるとも言われる(大塚概 説一八八頁参照)。
実務上,ドライバーを顔目掛けて投げ付けられれば,十分逮捕の意思が削がれると考えられるから,甲が事後強盗の罪責を問われることも問題ないと考えられる。本問において,ここまでは簡単に結論のみを論述すれば足りる。 そこで次に問題となるのが,乙の負傷,丙の死亡をどのように評価するかである。
乙が傷害を負ったのみであれば,単純に強盗致傷罪(二四〇条前段)を認めればよく,何ら問題ない。
ところが,本問では たまたま乙の後ろを歩いていた丙にドライバーが当たり,丙が死亡してしまっている。甲は丙にドライ バーをぶつけることにつき認識がなかったにもかかわらず,丙にぶつかってしまったわけであるから, 甲の認識した事実と発生した事実に食違いがあり,事実の錯誤が問題となる。

そこで,まず,事実の錯誤一般について考えてみたい。


二 事実の錯誤
1 具体的事実の錯誤
解りやすくするため,設問を離れて,殺人の事例で錯誤について考えてみたい。

たとえば,甲が乙を殺そうと考えて乙に向けて拳銃を発射したが,弾が逸れて乙の近くにいた丙に命申し,丙が死亡した場合を考えてみよう(事例一)。
この場合,甲は殺人の罪を犯すことを認識しており, 結果として相手方が違うとはいえ人の死という殺人と同一の結果が発生している。
このように,行為者の認識と発生した事実のずれが,例えば殺人という同一の構成要件の枠の中にある場合を具体的事実の錯誤という。
この事例については,まず,甲の罪責として,乙に対する殺人未遂を認めるものの,丙に対する関係では故意犯としての殺人既遂罪の成立を否定し,過失犯としての過失致傷罪を認める考え方がある(具体的符合説)。

具体的符合説は,甲が殺そうと考えたのは乙であり,丙に対しては誤って弾を命中させただけであるのだから,これを「故意に殺した」と評価するのは不自然と考える。 ただ,具体的符合説も単なる人違いの場合は故意犯を認めてよいとする。つまり,甲が乙を殺そうと考えて拳銃を発射し,狙った相手に当たって相手は死んだが,その相手が実は乙ではなく丙であったという場合である(事例二)。
この場合は狙った相手を殺しているのであるから,殺人既遂としてよいと考えるのである。 これに対し,通説判例と言われている法定的符合説は,事例一,二のいずれについても丙に対する殺人既遂罪の成立を認める。その理由として,通常「人を殺そうと思って,人を殺したのであるから,殺人罪を認めるべきである」といった説明がなされている。これは,解りやすく言うと,故意責任の構造から説明することができる。
つまり,故意犯の特徴は,自分がこれから行おうとしている行為が,法によって禁止された違法な行為であることを知っていながら敢えてこれを行うところにあると考える。
つまり,自分が人を殺すということを認識していれば(故意),「人を殺すなかれ」という法規範を思い起こすことができ,(規範に直面する),自分の行為が法により禁止された違法な行為であることも分かり(違法性の意識),止めようという意識(反対動機)が働く。
これを押し切って敢えて人を殺す行為に出るところに,強い責任非難(あるいは反規範性)が認められるので,故意犯は重く処罰される。

これに対し,自分の行為によって人が死ぬということを知らなかった場合,自分の行為が法により禁止された違法な行為であると考えることができないから,それほど強く非難するわけにはいかない。
ただ,もう少し注意していれば自分の行為で人が死ぬということをわかったはずだ,という不注意(過失)を非難することができるだけである。
このように考えるならば,殺すのが乙であるか,丙であるかということは,自分の行為が禁止されているという違法性の意識を生じさせるためには重要なことではなく,ただ,抽象的に「人」を殺すということさえ認識していれば殺人の故意を認めて構わないという結論になるのである。具体的事実の錯誤については,抽象的符合説も法定的符合説と同様に考える。


2 抽象的事実の錯誤
次に,甲が乙の犬を殺そうと考えて拳銃を発射したところ,傍にいた乙に命中してこれが死んだ場合を考えてみよう(事例三)。この場合,甲の認識は器物損壊罪を犯すということであり,発生した結果は人の死という,故意犯であれば殺人の結果であるから,その錯誤は異なる構成要件にまたがっている。

これを抽象的事実の錯誤という。

この場合,具体的符合説からは,当然,器物損壊の未遂は処罰規定がなく不可罰であるから,乙との関係で,過失致死罪のみが成立する。
そして,法定的符合説からも具体的符合説と同じ結論が導かれる。
つまり,この場合は,甲は,乙の犬を殺すことしか認識してないのであるから「他人の物を壊すなかれ」 という法規範には直面しているが,「人を殺すなかれ」という法規範には直面していない。他人の物を壊す場合の違法性と人を殺す場合の違法性には質的に相違があるから,充分に違法性の意識を持つことができず,故意犯を認めることはできない,と考えるのである。
つまり,法定的符合説は,行為者の認識と発生した事実との間にずれがあったとしても,それが一つ一つの構成要件の枠内(たとえば殺人の構成要件である「人を殺す」という枠内)であれば故意犯を認めてもよいと考える(厳密に言えば,法定的符合説の中には罪質が同質であれば構成要件の枠を越えても故意を認める見解があり,判例はむしろこの見解に近いと考えられるが,本問ではいずれにしても結論に差異はない。)。

これに対し,抽象的符合説は,事例三の場合にもなんらかの形で故意犯を認めようとする。
抽象的符合説にも種々あるので,代表的なもの一つを紹介すると,事例三の場合,甲は自分の行為が違法であることは意識しており,ただその程度が器物損壊程度の違法性と考えているだけなのだから,器物損壊罪の限度で故意犯が認められ,乙の死については過失致死罪が認められるとする。
つまり,行為者の認識と発生した事実のずれが,器物損壊と殺人という異なる構成要件にまたがっていても,違法性の意識が生じ得る限度では故意を認めてもよいと考えるのである。


三 故意の個数
本問の場合,もうひとつ故意の個数の問題を考えなければならない。
つまり,甲の暴行の結果, 乙が傷害を負い,丙が死亡するという二つの結果が発生しているため,この点をどう評価するかが問題となるのである。
再び事例を考えると,甲が乙を殺そうと考えて乙に向けて拳銃を発射したが,その弾が乙の腕を貫通し,乙に傷害を負わせたうえ,その後ろにいた丙の胸に命中し,丙が死亡した場合はどうなるであろうか(事例四)。
具体的符合説からは,乙に対する殺人未遂罪と丙に対する過失致死罪を認め,その観念的競合と考えればよい。妥当性は評価が分かれるが,極めて解りやすい結論といえる。

これに対して,法定的符合説,抽象的符合説に立つと見解が分かれる。

まず,乙に対する殺人未遂と甲に対する殺人既遂の観念的競合と考える見解がある(第一説)。
これは,前述した故意責任の構造からの考察を徹底して考える考え方で,甲は乙を殺そうと考えるだけで「人を殺すなかれ」という法規範に直面し,自分の行為は違法であるという違法性の意識を生じながら敢えて拳銃を発射したのだから,その行為は故意行為と言うべきであり,結果としてたとえ二人が死んだとしても,両方に対して故意犯としての殺人罪を認めることができると考えるのである。
この見解に対しては,一人殺そうと考えていたのに,二つの故意犯を認めるのは責任主義に反するとの批判があるが,これに対しては, 錯誤の問題は一個しかない拳銃発射という行為に出たことについて,故意責任という重い責任非難を加えるか,軽い過失責任を問うかという問題であり,一個同一の行為に対する非難は故意か過失かのいずれかでなければならないとする。
つまり,この説に立つと故意の個数ということは考えられなくなる。 また,第一説は,実質的にも二罪を認めたとしても,結局観念的競合として科刑上一罪として処断されるのであり(五四条一項前段),量刑上も考慮できるのであるから不都合はないとする。

これに対し,丙に対する殺人既遂罪が成立し,乙の傷害については罪に問わないとする見解(第二説),丙に対する殺人既遂と乙に対する過失致傷の観念的競合とする見解(第三説)もある。
いずれも,法定的符合説を採ったとしても,一人殺すのと二人殺すのでは意思決定においても大きく差があり,一人殺すつもりであった者について二つの故意犯を認めることはできないと考え,故意を一つに止めておこうとするものである。
しかし,第二説は,過剰に生じた結果,本問で言えば乙の傷害がまったく評価されなくなる点が批判され,第三説は,甲がもともと狙っていた乙に対して過失犯が成立するという結論が不自然であることと,後に乙も死亡したとしたら,これまで過失致傷であった乙に対する犯罪が故意犯である殺人に変わり,丙に対する殺人が過失致死に変わるのかといった疑問が呈せられている。
抽象的符合説からも,法定的符合説と同様に考えるものと考えられる。


四 本問の検討
以上を前提として本問につき考えてみると,まず,具体的符合説を採れば,甲は乙に対する暴行の故意を有していたのみであるから,乙の負傷に対しては傷害の責任を負うが,丙に対しては暴行の故意がなく過失致死が成立するのみということになる。
そして,乙に対する傷害は,「強盗の機会」に行われた行為によるものといえるから,一罪としての強盗致傷罪が成立し,これが丙に対する過失致死罪と観念的競合の関係になる。
これに対し,法定的符合説,抽象的符合説に立ち,かつ,第一説の故意に個数を認めない見解に立つと,乙の傷害に対して強盗致傷が成立することはもとより,丙の死の結果に対しても少なくとも暴行の故意を認めることができ,しかもこの暴行は,事後強盗の手段としての暴行であるから,丙の死も「強盗の機会」に行われた暴行により生じた結果といえることになるから,丙に対する強盗致死も成立する。 乙に対する強盗致傷と丙に対する強盗致死は観念的競合の関係になると考える。
法定的符合説,抽象的符合説のなかでも第二説に立つと,おそらく丙に対する強盗致死罪のみが成立することになり,第三説に立つと,丙に対する強盗致死罪と乙に対する過失致傷罪の観念的競合になるものと考えられる。
判例は,甲が強盗の手段として殺意を持って銃を発射したところ,弾が狙った相手乙を貫通し,たまたま通行中の丙にもしたが,乙,丙とも死亡しなかった事案につき,乙,丙両者に対する強盗殺人未遂罪の成立を認め,両者は観念的競合の関係に立つとして,第一説を採った(最判昭和 53・7・28 集三二・五・一〇六八)。
なお,強盗致傷罪の傷害の結果との関係につき,暴行の故意を必要としないという見解も有力であり,本問でこの見解を採ると,丙の死の結果が「強盗の機会」に生じたものと言い得るかぎり,錯誤を論ずるまでもなく乙に対する強盗致傷,丙に対する強盗致死が成立することになるが,筆者の個人的な見解としては,本問の出題意図は錯誤を論じさせることにあるように考える。
また,本問のように財物奪取が未遂に終わっている場合は強盗致傷未遂とすべきという考え方もあるが,刑法二四〇条は強盗の機会における被害者等の生命・身体の安全を特に保護する趣旨で定められたものであるから,致死傷の結果が生ずれば既遂となると解するのが通説判例である(大連判大一 一・一二・二二集一・一八一五)。

 

 

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