司法試験の勉強会

現役弁護士が法学部一年生向けに本気の解説をするブログです。

権利能力,意思能力及び行為能力とは?わかりやすく解説

一 各概念の意義

1 権利能力

 (1) 定義

私法上の権利及び義務の帰属主体となりうる地位または資格を権利能力と言う。
したがって,権利能力は同時に義務能力でもある。 「私権の享有は出生に始まる」という規定(一条の三)は,自然人は出生によって当然に法人格(権利能力)を取得することを意味する。全ての自然人が等しく権利能力を享有するという近代法の大原則は,ここには明言されていないが,現代の国家において当然認められている前提である。昔は,奴隷や小作人は 権利能力を有せず,権利主体たりえなかった。むしろ,封建領主の所有権の客体だったのである。しか し,今日では,人は誰でも生まれた時から死亡に至るまで権利能力を有する(権利能力平等の原則)。権利能力に関する規定は「公の秩序」に関する規定(強行規定)であって,権利能力を放棄したり制限した りすることは許されない。


(2) 権利能力の始期

1 権利能力の始期は,原則として「出生」の時である(一条の三)。この出生とは,生きて母体から完全に露出したときと解するのが通説である(完全露出説)。この点,出生の時期に関する刑法上の通説(一部露出説)とは異なる。
2 したがって,母体の胎内にあってまだ出産していない「胎児」は,本来権利能力を有しないはずであるが,それでは胎児の権利保護に欠ける場合が生じるので,民法では相続(八八六条),遺贈(九六五条) 及び不法行為に基づく損害賠償(七二一条)において,胎児も出生したものとみなされ,権利能力の主体たりうる。この「みなす」の意味については,法定停止条件説(通説・判例)と法定解除条件説の二説があり,前説は一条の三の文理を重視し,胎児である間は権利能力はなく,生きて生まれた場合に遡って出生したものと扱われるに過ぎないと説くのに対し,後説は死産の少ない現状を踏まえ,胎児と言えども制限的な権利能力を認め,生きて生まれてこなかった場合に遡及的にその権利能力が消滅するに過ぎないと説く。

前説と後説の具体的な違いは,後説が胎児のため法定代理人を置くことを認める点にあると言えよう。 したがって,一見後説の方が胎児の権利保護に厚そうであるが,阪神電鉄事件のように,出生前に相手方との間に胎児の請求権を放棄する旨の和解契約を締結してしまったような場合は,法定停止条件説の方が胎児の保護に厚い。


(3) 権利能力の終期

自然人の権利能力は死亡によって消滅する。失踪宣告によって死亡が擬制される(三一条)が,これは一定期間生死不明な者の権利関係を確定するものであって,その者の権利能力がこれによって消滅する わけではない。
法人の権利能力の消滅は,清算結了時である(七三条)。


(4) 外国人の権利能力

外国人とは,日本国籍を有しない自然人をいう。今日では平等主義の立場から内外人平等を原則とし, 法令または条約に禁止ある場合にのみ,これを制限しうるものとしている(二条)。 実例を挙げると,外国人の権利能力が当然に否定されているものとしては,鉱業権(鉱業法一七条),公証人たる資格(公証人法一二条)がある。

 

(5) 法人の権利能力

法人が法人格を認められるのは,それが取引単位たるにふさわしいと評価されることによる(新擬制説) から,法人に帰属しうる権利義務としては,まず財産法上の権利義務があげられる。身分法上の権利義務や肉体の存在を前提とする権利義務は法人には帰属しえない。ただ,名称権,名誉権のような人格権は法人も享有しうる。


2 意思能力


近代法における私的自治の原則は,各人は自分の行為によって自己を拘束する具体的規範を形成しうることを認める(個人意思自治の原則)のであるが,それは正常な意思活動に基づく行為によることを前提とする。すなわち,法律行為が本来の効果を生じるためには,行為の結果(それによる自己の権利義務の変動)を弁識・判断するに足るだけの精神能力,つまり意思能力を必要とする。人は誰でも権利能力を有するとしても,嬰児から老人までその精神作用の程度は千差万別であるから,権利能力者のうち一定の判断能力・精神能力ないし精神的資質を有する者と有しない者とを区別し,後者を意思無能力者と呼ぶのである。

すなわち,意思能力とは,行為の結果(それによる自己の権利義務の変動)を弁識・判断するに足るだけの精神能力を言い,通常,七歳程度の通常人の知能あたりがその分かれ目である。意思無能力者のなした法律行為の効果について条文はないが無効とするのが判例・通説である。また,不法行為責任については「責任能力」に関する規定があり(七一二条,七一三条),この責任能力不法行為における意思能力の対応概念である。


3 行為能力


私的自治の制度を完全に機能させるためには,意思能力を観念するだけでは不十分である。

第一に行為の当時,意思能力を有していなかったことをあとから証明するのは困難であり(正常だと判断され,不 利益を被る可能性もある),しかも,仮に証明に成功したとすれば,取引の相手方に不測の損害を与える こともある。そこで,意思能力のない者を定型化して,意思無能力者を保護するとともに取引の相手方を警戒させる必要がある。

第二に,意思能力者の中でも,市民社会における取引の複雑な利害関係や仕組みに対処する能力があるとは限らない。したがって,経済的な自衛力ないし競争力を有する者とそうでない者とを分けて,後者に対する保護監督の制度を設ける必要がある。 そこで形式的に,未成年者(三条),禁治産者(七条),準禁治産者(一一条)の三者を行為無能力者として定型化し,その財産管理権を制限するとともに,その保護機関を設け,行為無能力者の制限された管理権を補充させることとした。この行為能力は,体系上は私権の主体に関するものであるが,同時に法律 行為の効果を自己に帰属させるための要件の一つである。すなわち,自らの行為によって法律行為の効果を確定的に自己に帰属させる能力を,行為能力という。

(1) 行為無能力者の種類

行為無能力者の類型としては

1未成年者(満二〇歳末満の者)

2禁治産者(心神喪失の常況に在る者で,家庭裁判所によって禁治産の宣告を受けた者)

3準禁治産者(心神耗弱者または浪費者で,家庭裁判所で準禁治産の宣告を受けた者)

の三つがあるが,具体的にどのような行為をなしうるか,裏を返せば法はどのような行為を取り消しうるものとしてこれらの者を保護せんとしているかは,三者三様で異なる。

つまり,1未成年者は,四条一項ただし書,五条及び六条に規定されているように,特定の行為だけ単独でなしうるのに対し,2禁治産者は,単独でなしうる行為はない(認知など,身分上の行為については争いあり),3準禁治産者は,特定の行為(一二条列挙事項)だけ単独になしえないのである。 この区別の態様については,準禁治産者→未成年者→禁治産者と,一般的に精神能力が低いとされる ほど,単独でなしうる行為の範囲も狭い,と言う関係になっているものと考えられよう。


二 付随論点

1 行為能力と意思能力の関係について

行為無能力者が法律行為をした際,意思無能力者でもあった場合,無能力者側は取消と無効のいずれの主張も可能か,いわゆる無効と取消の二重効の問題がある。 この点通説は,二重効を肯定し,いずれを主張することも可能とする。その理由としては,取消も無 効も法律行為の効果を否定する手段に過ぎず,無効の法律行為は無であって取り消す余地がないとするのは,法律的概念を自然的存在と同視するものであること,意思無能力たる行為無能力者の行為を取り消しうるに過ぎないとすると,禁治産宣告を受けていない意思無能力者の方が有利に扱われるという不都合な結果を生じる,などがあげられている。


2 民法四三条の「定款または寄付行為によりて定まりたる目的の範囲内で権利を有し
義務を負う」の意味について


この民法四三条の法意について,権利能力制限説,行為能力制限説,代表権制限説の三説があるが, 権利能力制限説は法人擬制説と結びつきやすく,行為能力制限説は法人実在説と,代表権制限説は新擬制説と結びつきやすい,と言われている。これらの説を区別する意義は,目的の範囲外の行為の効果が帰属する余地を認めるか否かにあるが,「目的の範囲内」の判断基準を緩く解する判例の傾向に鑑みれば,実質的な差異はほとんどなかろう。
権利能力,行為能力及び意思能力は民法の根本原理にかかわるものであり,その概念は誰しも一応の理解を持っていよう。本問は,どこまで書いたらよいか決断がつきにくいと思われるが,最低限,それぞれの概念と相互関係,とりわけ,意思能力だけでなく行為能力の制度も定められている理由について は,書くべきと思われる。また無能力者の相手方の保護のための制度(催告,法定追認等)について論述 することも考えられる。

 

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二重譲渡とは?事例問題を交えてわかりやすく解説2

問 Aは,自己所有の甲建物を時価相当の1000万円でBに売却し,その代金を受領したが, 甲建物売却を聞き付けたCから懇請され,甲建物をCに贈与し,Cに対する所有権移転登記手続 を了した。ところが,その後Aに恨みをもつDは,甲建物に放火し,甲建物を全焼させた。
B,C,D間の法律関係について説明せよ。   

一 概説


本問は不動産の二重譲渡を主論点とする問題であり,本問での事実関係を前提とすれば,その妥当な落ち着き先を看破するのは決して困難なことではなかろう。しかし,背信的悪意者排除論に先立って, 理論的にそもそも二重譲渡が可能か否かについて,民法一七六条,一七七条の統一的解釈が要求されるなど,考えれば難しい問題がある。

 

二 BC間の法律関係について


1 そもそも二重譲渡は可能であるか
(一) 日本の民法においては,「当事者の意思表示のみ」によって物権変動が効力を生じるとしており,意思主義を採っていると解される(一七六条)。したがって,本来二重譲渡において,AがBに譲渡した以上,CはAが無権利者になってから後にAから譲り受けた者であるから,Cは物権を取得しえず,したがってCが登記をしてもそれは無効の登記であるはずである。しかし,他方民法は,登記がなければその物権変動を第三者に対抗できない(一七七条)としており,登記を備えることによってCが終局的に物権を取得するという結論に争いはない。そこで,先の結論を回避するための理論構成,換言するなら対抗力のない物権変動とはなにか,既に生じているはずの物権変動を第三者に対抗できないとはどういうことであるかの解明が必要となる。

(二) 対抗することを得ずの意義 この点については,以下の四説がある。
①債権的効果説 登記がなければ,当事者間にも物権変動の効力を生じないで,単に債権的効果を生ずるに過ぎないとする。この説に対しては,先に述べたように,物権変動について形式主義を採らず,意思表示のみで物権変動を生じるとした民法の根本趣旨に反するという批判がある。

②相対的無効説 登記がなくても,当事者間では完全に物権変動の効力を生じるけれども,第三者に対する関係では全く物権変動の効力を生じないものとする。 この説はさらに,(a)第三者に対する関係では,全然物権変動の効力を生じないから,第三者の側からもそれを主張することは許されないとするもの,(b)第三者に対する関係では物権変動の効力を生じないが,第三者の側からこれを主張することはできるとするもの,(c)第三者に対する関係では,第三者の利益と抵触する範囲内に限って当然物権変動の効力を生じないこととなるが,それは第三者の利益保護のためであるから,第三者の側から進んで効力を認めるのは差し支えないとするもの,(d)物権変動が当事者間では有効,第三者に対する関係で無効とすることにつき,「関係的所有権」の概念~譲渡人が,当事者たる譲受人に対する内部関係では無権利者,第三者に対する外部関係上はなお物権者であるとする~を使って説明するもの,の四説に分かれる。 これらの説と,次に述べる第三説(不完全物権変動説)との差異は,後者が,当事者間においても物権変動の効力は不完全だとするのに対し,この説では,当事者間では完全有効,第三者に対しては無効だとする点にある。 これらの説は,意思表示のみで完全な物権変動が生じるとする点で,①の債権的効果説のような批判は免れるが,無効なものが第三者の側からの主張によって有効となることの根拠が明確でないとか*1,第三者の主張がないかぎり,有効なものとして扱い,第三者の主張ないしは立証をまって物権変動の効力を取消ないし否認しうるとした方が妥当ではないか*2との批判がある。

③不完全物権変動説 登記がなくても,物権変動が,当事者間及び第三者に対する関係でその効力を生じることは認めるけれども,それが不完全だとする。すなわち,登記がないかぎり,第三者に対する関係のみならず当事者間でも排他性のある物権変動は生じず,したがって,譲渡人も完全な無権利者とならないから,譲渡人 がさらに第三者に二重譲渡するのも可能であると説く。 この説に対しては,「対抗できない」という言葉を排他性の欠缺という言葉に言い換えたに過ぎず,また第三者の側から登記の欠缺を主張せずに物権変動を認めた場合でも,譲渡人はやはり不完全な物権しか取得できないのではないか,等の批判がある。

④第三者主張説 登記がなくても,物権変動は当事者間及び第三者に対する関係で完全にその効力を生じ,ただ,第三者の側からの一定の主張があるときは,この第三者に対する関係ではその効力がなかったものとされると説く。 この説には,さらに,(a)否認権説~かような第三者の主張は,登記欠缺の積極的主張ないし否認権の行使によって行われるとするもの,(b)反対事実主張説~第三者の主張は,必ずしも登記欠缺の積極的な 主張なることを要せず,単に,当事者間の物権変動と反対ないし両立しない事実の主張,本件に即して言うなら,第三者CがAから本件建物を譲り受けたという事実の主張をもって足りるとするもの,がある。 この説に対しては,積極的に否認権を行使しない場合でも,第三者が自己に登記を備えさえすれば, 完全に物権を取得しうることを説明できないとか,第二譲受人が否認ないし反対事実を主張する前に, 本来無権利者となった譲渡人がさらに物権を譲渡しうる理由が説明されていない,などの批判がある。

(三) この点については,理論的に詰めると非常に難しいものがあるので,答案で触れるとしても通説・判例とされている不完全物権変動説で簡潔に書くのがよいだろう。

2 次に,本件は登記なくして対抗しえない物権変動と言えるか。 この点につき,全ての物権変動につき登記を要するとする見解(単純無制限説),意思表示による物権 変動についてだけ登記を要するとする見解,当事者間の権利関係に基因する変動についてだけ登記を要するとする見解その他がある。いずれにしろ,本件では売買と贈与なので,一七七条の適用ある物権変 動と言えよう。 この点は本件では問題にはならないが,例えば,詐欺取消しや解除,相続(遺産分割や相続放棄など) 等については判例・学説に争いがあることは周知のとおりである。

3 すると,本件では,Cが先に登記名義を備えているから,完全に物権を取得しうることとなる。本件の詳しい事実関係は必ずしも明らかでないが,場合によってはこの結果が正義に反することもあろう。 そこで,このような結論を回避することはできないか,登記なくして対抗しえない第三者とはいかなる者かが問題となる。 この点,法文上はこの「第三者」につき何ら制限を設けていないことから,不動産登記法四条及び五条に明記された「詐欺又ハ強迫ニ因リテ登記ノ申請ヲ妨ケタル第三者」及び「他人ノ為メ登記ヲ申請ス ル義務アル者」以外はこの一七七条の第三者に該当するとの説(無制限説)が初期の判例等に見られた。 しかし,民法一七七条の立法趣旨,すなわち不動産取引の安全を保護するため登記を公示方法とした こと,及び,例えば不動産を毀滅した不法行為者が登記未了の実質的真正権利者から損害賠償の請求を受けた場合に,登記欠缺を主張して請求を退けるような結果を避ける必要があること等からは,第三者の範囲を限定するのが妥当である。ところで,この第三者の判断基準については,右一七七条の立法趣旨を踏まえて,「登記欠缺を主張する正当な利益を有する者」(判例)とか,「当該不動産に関して有効な取引関係に立てる第三者」(我妻), 「物権変動を認めるとすれば内容がこれと両立せざるが為め論理上当然に否認されねばならぬ権利を有する者」,「物権支配を相争う相互関係に立ち,かつ登記を信頼して行動すべきものと認められる者」などが提示されている。

4 次に問題となるのは,第三者の確定基準として,その者の善意・悪意を問題とすべきかということで ある。 これについては,1善意・悪意不問説,2悪意者排除説,3背信的悪意者排除説,4悪意・有過失者 排除説(公信力説・なお,この説は二重譲渡は論理的に不可能とする)の四説がある。 思うに,公示方法たる登記制度は,これに対する第三者の信頼を保護し,もって取引の安全を図るためにある。したがって,現実に登記を信頼しない悪意の第三者は保護に値しないように思える。しかし 他方,自由競争の世の中に対処するためには,物権取得者は,直ちに登記をして自己の地位を確保すべ きであるのに,それを怠るのは手落ちと言うべきであり,また,一七七条も資本主義的自由競争原理の 下にある規定であるから,悪意者であっても,原権利者に対しいっそう有利な条件を提示してその他人と争うことは許されるとするのが妥当である。よって,社会生活上正当な自由競争の範囲内にあるならば,一七七条の第三者として保護されるべきである。 さりながら,かかる自由競争の範囲を逸脱し,譲渡人の登記欠缺を主張することが信義則に反するような場合にまで保護する必要はない。したがって,登記欠缺を主張するのが信義則に反すると認められるいわゆる背信的悪意者は,一七七条の第三者からは除外されると解する。 背信的悪意者の判定基準としては,大まかな基準を示すと,1第三者の側の行為の悪質性,2要保護性の強さ,となろう。本件での事実関係を前提と するなら,Cの行為の動機等は必ずしも明らかでないが,Aは,時価相当額で甲建物を買い受け,代金をすでに支払っているのに対し,Cは,甲建物がすでにAに売却されているのを知悉しつつ,その贈与を受けている。よって,さらに,その贈与が実質的にも無償であり,Cの動機がAに対するいやがらせである等の事情が認められれば,Cは背信的悪意者とされる可能性がある。

5 Cが背信的悪意者ということになれば,Bは登記なくして甲建物の所有権をCに対して主張しうる。


三 B及びCとDの法律関係について


1
B及びCは,Dに対し,甲建物の毀滅という所有権侵害を理由とした,不法行為に基づく損害賠償請求をするものと思われ,そのためには,甲建物の所有権を不法行為者Dに対して主張できる必要がある。 では,BはDに対して甲建物の所有権を主張できるか。この点,一七七条の「第三者」に該当しない者の具体例として,先の背信的悪意者のほかには,実質的無権利者及びその者からの譲受人・転得者, 不法行為者等があげられることは,判例・学説等を通して争いがない。本問では,Dがこの不法行為者に該当しよう。したがって,本問の場合,Bは甲建物の所有権をDに対して主張しうる。
2
では,Cはどうか。これは要するに,背信的悪意者が不法行為者に対して所有権を主張しうるか,という問題である。明確に論じた文献は見当たらなかったが,背信的悪意者と認められる場合でも,その背信的悪意者に対する譲渡が公序良俗違反(九〇条)として直ちに無効になるわけではないし,背信的悪意者は単なる悪意者以上に背信性の強いものであり,かつ背信性の有無が権利取得を争う相手方如何によって,相対的個別的に判断されるとするならば,CはDに対して所有権を主張しうることもありうる。 これに対して,背信的悪意者という概念が,一七七条の「第三者」として保護されるべき者の範囲を画するという機能を営むことを考えるならば,誰との関係で背信性があるかということもさることながら,その者自身にどれだけ保護に値する正当な利益があるのかを重視することも考えられる。この立場からは,CはDに対して所有権を主張できない場合もありうる。 問題はあるが,ここは深入りせず,CもDに対して甲建物の所有権を主張しうる,としてよいだろう。
3
すると,B及びCは,いずれもDに対して損害賠償請求をなしうることになるが,その場合,Dの二重払いの危険を回避する必要がある。この点,DがCに支払った場合には,債権の準占有者に対する弁済(四七八条)としてDを保護するとの理論構成がありうる。


四 まとめ


先に述べたように,本問は典型的な不動産の二重譲渡の問題であるが,いきなり背信的悪意者排除論 という論点にとびつくようなことはせず,やはり二重譲渡が可能か否かというところから,首尾一貫し て簡潔に述べた方がよいと思う。ただし,学説も錯綜としている部分であるから,深入りは禁物であり, 判例にしたがって述べればよいであろう。

 

 

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司法権と国民主権の関係をわかりやすく解説

はじめに

本問は,後に述べるように,国民主権原理と司法権の独立に関わる問題であることから,統治制度全体に関連する問題である。

司法権に対する民主的コントロールの特質

憲法は,国民主権原理を採用しており(前文,一条),統治制度は,国民の権威によって支えられ,国政は究極的には国民の意思に基づかなければならない。このことは,統治機構のうち,立法権,行政権 のみならず,司法権にも同じく妥当するものである。
しかしながら,他方で,憲法は,民主主義と並ぶもう一つの原理である自由主義の原理の一内容として,権力分立制を採り(四一条,六五条,七六条一項),とりわけ司法権については,その性質上,厳正かつ公正な権限の行使が求められることから,他の機関からの独立性が要請される(司法権の独立)。
したがって,司法権に対する民主的コントロールを考えるに当たっては,司法権の独立との調和に常に注意を払う必要がある。

各論

①他の統治権力に対するのと同様に,司法権に対する民主的コントロールとしては,1権力行使に当たる者の選定・罷免,2権力機関の組織に対するコントロール,3権力行使の内容に対するコントロールなどが考えられる。
②裁判官の選定・罷免
国民主権の下では,公務員は究極的には国民が選定罷免する可能性をもっていなければならない。この趣旨から,憲法は,国民の公務員の選定罷免権(一五条一項)を保障している。すべての公務員が国民 によって直接に選定され,また罷免の対象とされなければならないというわけではないが,司法権の行使に当たる裁判官の選定罷免も,究極的には,民主的コントロールに服さなければならない。

選定

憲法は,最高裁判所長官は,内閣の指名に基づいて天皇が任命し(六条二項),その他の最高裁判所裁判官は内閣が任命する(七九条一項),下級裁判所の裁判官は,最高裁判所の指名した名簿によって内閣が任命する(八〇条一項)と定めている。 内閣は,国民の直接選挙によって選ばれた議員から成る国会の議決により国会議員の中から指名される内閣総理大臣(六七条一項)と,内閣総理大臣が任命(六八条一項)・罷免権(同条二項)を持つ国務大臣で組織され(六六条一項),国会に対して連帯責任を負う(六六条三項)ものであるから,内閣の指名,任命権によって,裁判官の選定には民主的コントロールが及んでいる(なお,天皇の国事行為については内閣の助言と承認が必要で,かつ内閣が責任を負う(三条)ので,民主的コントロールに関しては,任命権が天皇,内閣のいずれにあるかは実質的な違いがない。) 。
最高裁判所の裁判官と下級裁判所の裁判官とでは,最高裁判所の指名名簿による拘束の有無に違いがあるが,国民に対する影響のより大きい最高裁判所の裁判官の選定については,内閣に委ねて民主的コ ントロールを比較的強く認め,他方,下級裁判所の裁判官については,そのようなコントロールを受ける最高裁判所の指名する名簿を通した,さらに間接的な形でのコントロールにとどめるもので,司法権の独立への配慮が示されている。

罷免

裁判官の罷免については,憲法上,二つの制度が定められている。裁判官弾劾裁判制度と国民審査制度である。
まず,裁判官は,司法権の独立の一環である裁判官の職権行使の独立の確保のために,身分保障がされているが,他方で,重大な非違のある裁判官を罷免する制度として,弾劾裁判の制度が設けられてい る(七八条)。
これは,国会が設ける,両議院の議員で組織する弾劾裁判所(六四条)の弾劾によって裁判官を罷免するもので,国会を介した間接的なコントロールである。 これに対して,国民審査制度は,最高裁判所裁判官についてのみ設けられており,国民投票により, 多数が裁判官の罷免を可とするときは,その裁判官を罷免するというもの(七九条二ないし四項)で,国民による直接的なコントロールである(ただし,厳密には,国民と投票権を有する有権者とは一致しな い)。
有権者による裁判官の適否についての直接的な判断は,司法権の独立に対して与える影響が非常に大きいが,最高裁判所違憲審査権を行使する終審裁判所で(八一条),規則制定権(七七条)や下級裁判所裁判官の指名権(前述)を有していることから,特にこれを認めたものである。

 

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実行の着手とは?窃盗罪を例に徹底解説

問題の所在

犯罪は,一般に,準備行為(予備)→実行の着手→実行の完了→結果の発生という具合に発展すること になるが,「犯罪ノ実行ニ著手シ之ヲ遂ゲザル」(刑法四三条)場合には未遂犯となり,各本条に未遂犯処 罰規定が存する限り(重罪には一般に処罰規定がある)処罰されることになる(四四条)。これに対して予備 は,未遂犯のような総則規定がなく,殺人罪・強盗罪等特に重い犯罪につき例外的に処罰規定が存する のみで,原則として不可罰とされている。
それ故,未遂と予備とを区別する必要があり,その区別のメ ルクマールとして「実行の着手」という概念が機能することになる。

実行の着手とは

実行の着手の概念をいかに理解するかに関しては,主観説と客観説の対立がある。

主観説

犯罪の処罰根拠を犯人の危険な性格という主観面に求める新派刑法学を基盤とする考え方である。主観説を純粋に押し進めると犯意の成立のみで犯人を処罰し得ることにもなり得ようが,それは明らかに 「実行の着手」を要求する刑法四三条の文言に反することになる。そこで主観説は,実行の着手に犯意 の徴表としての意味を与え,「犯意の成立が,その遂行的行為により確定的に認められるとき」(牧野),あるいは「犯意の飛躍的表動があったとき」(宮本)などに実行の着手があるとする。

客観説

犯罪の処罰根拠を行為の法益侵害性や不当性などの客観面に求める立場に基づく考え方である。客観 説は,さらに,形式的客観説と実質的客観説とに分けられる。

形式的客観説

基本的構成要件に該当する行為を開始することが実行の着手であるとする。窃盗罪でいえば,他人の 財物を「窃取する」行為を開始したときに実行の着手があることになる。判例は,処罰範囲が狭くなり すぎることを考慮してか,構成要件該当行為と「直接密接する行為」の開始にまで実行の着手を拡大し ているが,これに対しては「実行」の観念を不当にゆがめるとの批判がある。むしろ,密接行為とされ ているもの(例えば,後述の住居侵入窃盗における物色行為など)を全体としてみて構成要件の内容をな すものと解する方が理論的ではなかろうか(団藤綱要三三〇頁参照)。

実質的客観説

犯罪結果実現の現実的危険性を有する行為を開始することが実行の着手であるとする。経験上,その 行為をとれば通常は結果の発生に至るような実質的危険性があるか否かが問題とされる。結果の発生に 至っていない未遂犯が既遂犯と同じように処罰されるのは,実行の着手によって犯罪結果実現の危険性 を生ぜしめたことが可罰的と評価されるからである。そこで,かかる危険性の観点から実行の着手の概 念を実質的に規定するのである。

検討

まず,主観説は,行為者の主観面を重視するといいながら,「遂行的行為」なる行為の観念を持ち込 まざるを得ない点において理論的な破綻があるし,なによりもそのよって立つ主観主義の刑法理論が採 用できない。 そして,構成要件論に準拠するかぎり,実行の着手を構成要件該当行為の開始とする形式的客観説に よるのが理論的であろう。
ただこの考え方によれば,何が構成要件に該当する行為なのかということが 問題となり,それは個々の構成要件ごとに具体的に決するほかはない。
そして,その際には,未遂犯の 実質的処罰根拠が結果発生の危険性を生じさせたことにある以上,未遂犯として処罰に値するだけの危 険性のある行為か否かという観点から実質的に考慮する必要がある。その意味では,形式的客観説と実 質的客観説とは,対立するものというよりも相互に補い合うものといえよう。

窃盗罪における実行の着手

では,以上の一般論を窃盗罪の場合にあてはめるとどうか。判例をみてみよう。
まず,住居侵入窃盗の場合には,住居に侵入しただけでは着手ありとはいえないが,目的物の物色を 始めれば着手を認めるというのがほぼ確定した判例といえよう。
例えば,最判二三・四・一七は,食料 品窃取の目的で住居に侵入し,懐中電灯で照らすなどの物色中に逮捕された事案につき実行の着手を認 めている。
形式的には,物色行為を窃盗罪の構成要件該当行為に「密接する行為」として評価している わけだが,実質的には,どの段階で窃盗罪の結果実現の現実的危険性が生ずるかという点が考慮されて いるといえよう。
なお,窃盗目的での土蔵への侵入につき,財物のみがあって人が住んでいないという 土蔵の性格から,物色を始めるまでもなく,侵入行為と同時に窃盗罪の着手があったとする判例(名古屋 高判二五・一一・一四)がある点に留意を要する。
次に,いわゆる「すり」の事案については,被害者のズボンのポケットから現金をすり取ろうとして ポケットの外側に触れた段階で実行の着手があったとする判例(最判二九・五・六)がある。 結局のところ,個々の事案における犯行態様等の具体的事情に照らし,結果実現の危険性という実質 的判断を背景としつつ,何が窃盗罪の構成要件に該当する行為なのか(あるいはこれに密接する行為なの か)を検討する必要がある。

 

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衆議院の解散とは?わかりやすく解説

意義


衆議院の解散とは,衆議院議員の全部に対してその任期満了前に議員の身分を失わしめることである。 衆議院の解散は,内閣と国会の意見が対立する問題,その他重要な政治問題について,総選挙を経るこ とによって主権者たる国民の意思を問うために行われたものであるが,他面,衆議院内閣不信任決議に対応する手段として,内閣と国会との権力の抑制と均衡を計る機能をも果たすものである。


形式的解散権


衆議院の解散を行いうる権能(解散権)については,実際に解散を決定する権能(実質的解散権または解散決定権)と,右の決定に基づき解散する旨を外部に宣示する権能(形式的解散権または解散宣示権)とを区別することができる。 憲法七条三号は衆議院の解散は内閣の助言と承認により天皇によって行われるものと規定しているが, 国政に関する権能を有しない(憲法四条一項)天皇が有するのは形式的解散権のみである。


実質的解散権の所在


実質的解散権の所在については,内閣にのみ属するとする見解(他律的解散のみを認める見解)と,衆議院自らの議決による「自律的解散」をも認める見解とが対立している。 多数の見解は自律的解散の可能性を否定している。
その理由としては,1憲法が「解散され」(五四条, 六九条)という受け身の表現を用いていること,2多数決によって憲法上の衆議院議員の任期を短縮するには特にそのことを認める憲法上の明文規定がなければならないこと,3自律的解散を認める見解は 「国会の最高機関性」を根拠としているが,それならば,参議院にも解散が認められることになってしまうことなどを挙げている。


実質的解散権の所在,解散が行われる場合


実質的解散権が内閣にのみ属するとする見解の中でも憲法上どの規定に根拠を求めるかについて,解散が行われる場合とも関連させて見解が分かれている。

a 六九条説
憲法六九条により,衆議院内閣不信任決議案が可決されたとき,または内閣信任決議案が否決されたときに限り,内閣が衆議院の解散を決定しうるとする見解。解散の根拠を定める規定は憲法六九条の外に存しないことを理由とする。 衆議院の解散が行われる場合を六九条に規定する場合に限定する見解に対して,多数の見解は,1六九条に規定する場合の外にも,内閣と国会の意見が対立する問題,その他,憲法改正,条約締結など重要な政治問題が生じた場合には,衆議院の解散によって,主権者たる国民の意思を問うべき必要があること,2六九条はもともと内閣の総辞職について規定したものであって,それに関連して解散が行われる特定の場合を予想しているにすぎないもので,解散が行われる場合を限定するものではないことなど を理由として,衆議院の解散は,六九条に規定する場合に限定されないと解している。このように解する見解の中でもさらに憲法上どの規定に根拠を求めるかについて見解が分かれている(なお,自律的解散 を認める見解も解散が行われる場合を六九条に規定する場合に限定しない)。

b 七条説
憲法七条により,内閣は,天皇の形式的解散行為に対する助言と承認を行う際,その前提として解散を実質的に決定できるとする見解。

c 六五条説
国家作用は,立法,司法,行政の三種に分類され,行政とは国家作用から司法と立法を除いた残余であるところ,衆議院の解散は立法でも司法でもないから,憲法六五条の行政作用として内閣の権能に属するとする見解。

d 制度説
憲法には,実質的解散権の帰属を明示する規定は存しないが,自律的解散権の不採用,権力分立制と議院内閣制の採用,国政に関する天皇の権能の否定等憲法の全制度の趣旨から判断して,実質的解散権は内閣に属するとする見解。
以上の見解のうち,七条説が一応通説であると思われる。六五条説に対しては,衆議院の解散という国家作用の重要性に鑑み,実質的解散権の所在について立法でも司法でもないから行政作用として内閣の権能に属するとするのは安易に失するという批判がなされている。制度説に対しては,憲法が議院内閣制を採用していることをその根拠として挙げているが,そもそも,内閣が第一院の信任に依拠するとともに第一院の解散権をもつことが議院内閣制であるというべきなのに,逆に,議院内閣制を採用して いることを前提として内閣の解散権を帰結するのはやや循環論法のきらいがあるという批判がなされて いる。


解散が行われる時期


解散が行われる時期については特別の規定はない。憲法五四条二項は単に国会が開会中に行われた場合のことを定めたにすぎないと解され,理論的には閉会中でも可能であると解されている。 なお,解散後はじめて国会が召集されるまでの間及び内閣総辞職後新内閣総理大臣が任命されるまで の間は解散できないものと解されている。


解散の効果


衆議院の解散によって,衆議院議員全員は任期満了前にその資格を喪失せしめられる。 会期中に衆議院が解散されると参議院は同時に閉会となる(憲法五四条二項)。解散後は,解散の日か ら四〇日以内に衆議院議員の総選挙が行われ,その選挙の日から三〇日以内に国会(特別会)が召集され (憲法五四条一項),右国会が召集されると内閣は総辞職をしなければならない(憲法七〇条)。

 

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内閣総理大臣の地位及び権限とは?答案のポイントをわかりやすく解説

一 はじめに


答案作成のポイントは,内閣総理大臣の地位については,明治憲法下における地位と日本国憲法下における地位とを対比して論述し,内閣総理大臣の権限については,憲法及び内閣法において内閣総理大臣の権限とされているものについて具体的に条文を引用しながら当該条文の趣旨及び解釈論を簡潔に論述することだと思います。以下においては解説としての性格上,多少詳しく論述しますが,答案としては以下に論述することすべてを書く必要がないのはもちろんです。


内閣総理大臣の地位


内閣総理大臣とは,行政権の主体たる内閣の首長である(六六条一項)。内閣総理大臣も,広義の国務大臣の一人であり,内閣という合議体を構成する一員である。しかし,内閣の首長とは,内部にあっては他の国務大臣の長としてこれを統率し,外部に向かっては内閣を代表する,内閣の中核的地位にある者を意味するものである。
明治憲法下にあっては,内閣も内閣総理大臣憲法上の制度ではなく,ただ勅令である内閣官制により,内閣総理大臣は「各大臣ノ首班」として,内閣の統一をはかり,それを代表する地位が認められたが,その「首班」とはいわゆる「同輩中の首席」という意味にすぎず,他の国務大臣と同格のものとされていたのである。
これに対し,日本国憲法は,内閣総理大臣をもって「内閣の首長」と定め,後述するように内閣を組織し,主宰しかつ代表する強い地位,権限を与えている。閣議にあっては発言権は対等であり,内閣総理大臣は他の国務大臣に対して命令権をもっているわけではないが,日本国憲法内閣総理大臣に強い地位,権限を与えることによって,内閣の統一性をはかり,内閣の連帯責任(六六条三項)の実をあげよ うとしたのである。
内閣総理大臣が,閣内において首長という特別に重要な地位にある結果,内閣総理大臣が欠けたときは,内閣は,総辞職しなければならないとされている(七〇条)。ここにいう内閣総理大臣が欠けたときとは,死亡したときのほか,国会議員たる資格を失い当然にその地位を失うこととなると認められる場合をも含むと解されている。


内閣総理大臣の権限


内閣総理大臣は,内閣の首長としての地位から,次のような権限を与えられている。

①他の国務大臣を任命しかつ任意に罷免すること(六八条)
明治憲法において他の国務大臣内閣総理大臣もともに天皇によって任命されたのとは異なり,日本国憲法においては,内閣総理大臣のみは,国会の指名に基づき,天皇によって任命されるが(六条一項), 他の国務大臣内閣総理大臣によって任命され,罷免されるものとされている。この任免権は内閣総理大臣の専権に属し,閣議にかけることを要しない。国務大臣の任免は天皇の認証を必要とするから(七条 五号),内閣が助言と承認を与えることになるが,事柄の性質上内閣は助言と承認を拒みえないと解されている(そもそも閣議にかける必要がないとする見解も有力である。)。この任免権こそ,内閣総理大臣が内閣の統一を確保するための有力な手段であり,その首長としての地位は,ここに最もよく現われているのである。

 ②国務大臣に対するその在任中における訴追に同意すること(七五条)
この権限は,内閣総理大臣が,検察機関による不当な圧迫から国務大臣を守り,もって内閣の一体性 と活動力の保全をはかることを可能ならしめようとしたものである。ここにいう「訴追」とは,厳密な意味での検察官の公訴の提起のみならず,本条の趣旨からみて,その前提となる逮捕,勾留などの身体の拘束をも含むと解すべきであるとする見解が有力である。同意を与えるかどうかは内閣総理大臣の裁量に属し,その適否は国会による政治的責任追求の対象となるにとどまる。同意に基づかない逮捕,勾留は違法であり,その訴追は無効となる。ただし,訴追の権利は害されないから(七五条但書),訴追に同意のない場合には公訴時効の進行は停止し,国務大臣を退職するとともに訴追可能となると解されて いる。

③内閣を代表して議案を国会に提出すること(七二条)
この「議案」の中には法律案,予算案も含まれ(内閣法五条参照),また憲法改正案も含まれると解されている。 

④内閣を代表して一般国務及び外交関係について,国会に報告すること(七二条)

⑤内閣を代表して行政各部を指揮監督すること(七二条)
この権限は,内閣が閣議によって行政の方針を定め,内閣総理大臣がその方針に基づいて行政各部を指揮監督することを意味する(内閣法六条参照)。内閣総理大臣は主任の大臣の間における権限争議を閣議にかけて裁定し(同法七条),また行政各部の処分や命令を中止させ,閣議によって処置することがで きる(同法八条)。

⑥法律及び政令に主任の国務大臣とともに連署すること(七四条)
主任の国務大臣が法律及び政令に署名するのは,法律の場合には,その執行の責任を明示し,政令の場合には,その制定及び執行の責任を明示するためであるが,内閣総理大臣は,内閣の一体性を示すためにそれらに連署することが求められているのである。

閣議を主宰すること(内閣法四条二項)
内閣総理大臣は,閣議を招集し,その議長となる。

内閣総理大臣及び主任の国務大臣の代理を指定すること(内閣法九条,一〇条)
内閣総理大臣は,内閣総理大臣または主任の国務大臣に事故のあるときまたは欠けたときにおける臨時代理を指定する権限を有する。

 

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契約締結上の過失とは?具体例をあげて解説

一 「契約締結上の過失」理論


特定の家屋の売買契約が締結された前日に,その家屋が焼失していた場合を考えてみる。
既に焼失した建物の売買契約は原始的不能によって無効とされる。しかし,建物が現存すると信じた買主は,これによって契約費用等の損害を受けるであろう。
もし,売主の側に,かかる無効な契約を締結させるについて何らかの責めに帰すべき事由が存在するとすれば,売主は買主の損害を賠償すべきで はなかろうか。
この責任を認めようとする理論が,契約締結上の過失理論である。 


二 「契約締結上の過失」責任の性質


もし,前記の場合において,売主が焼失を知りながら故意に隠して契約を締結するに至ったとすれば, 詐欺を構成することとなり,不法行為による損害賠償を認めることができる。
よく注意すべきであるにもかかわらずこれを怠ったため契約を締結するに至った場合にも過失による場合として同様の結論を導くことが可能であろう。
しかしながら,社会に生存する無数の人の中から,特に相手方を選んで契約関係に入ろうとする以上, 相手方に対して,社会の一般人に対する責任(すなわち不法行為上の責任)よりも一層強度の責任を課されることも当然であるというべきである。すなわち,各人は,契約を締結するにあたっても,特に注意して,無効な契約を締結することによって相手方に不慮の損害を被らせることのないようにする信義則上の義務があるのである。
したがって,この理論によると,売主の責任を契約責任として構成すべきことになる。
これによれば, 立証責任の分配は,不法行為の場合と逆となり,責めに帰すべきでない事由の存在の立証責任が売主側にあることになるし,不法行為なら使用者責任の規定(民法七一五条)が適用されるのに対し,契約責任 であれば履行補助者の理論の援用が可能となり,売主の使用人等履行補助者の過失が売主自身の過失と同視されることになる。

 
三 「契約締結上の過失」責任の要件


この責任を認める要件は,
①締結された契約の内容の全部又は一部が客観的に不能であるためにその契約の全部又は一部が不能であること
②給付をなすべき者が,その不能なことを知り又は知り得べきであること
③相手方が善意無過失であること
である。 


四 「契約締結上の過失」理論の適用場面の拡大


この理論は,契約責任の発生を有効な契約締結そのものにのみ求めるのでなく,その前段階をも含む包括的な契約関係全体に求めようとするから,その適用は単に原始的不能による無効の場合に限られず, 他の理由(合意不存在,要式の不備等)による無効や契約不成立の場合,又は契約としては有効に成立した場合,更には準備行為だけあってついに締結に至らなかった場合にも一般に認められることになる。
例えば,素人が銀行に対して相談や問い合わせをした上で一定の契約を締結したところ,その相談や問い合わせに対する銀行の指示に誤りがあって,顧客が損害を被った場合に,契約は有効でも銀行の告知義務が契約による債務の内容でないために契約の債務不履行として銀行の責任を追及することができないとしても,なお,契約における信義則を理由として,その責任を認めるのが相当であろう。
電気器具販売業者が顧客に対して使用方法の指示を誤ったために,後にその品物を買った買主が損害を被ったときも同様である。
最高裁も,マンションの売却予定者が,買受希望者の希望によって設計変更をしたのにもかかわらず売買が不成立になった場合に,買受希望者に対して契約準備段階における信義則上の注意義務違反を理由として損害賠償を請求した事例において,その請求を認容した原審の判断を是認している(最判昭和 59 9・18)。 


五 「契約締結上の過失」による損害賠償の範囲


契約締結上の過失による責任の内容たる損害賠償の範囲は,いずれの場合であっても契約内容である債務の不履行ではないから,いわゆる履行利益(積極的契約利益)ではなく,信頼利益(消極的契約利益)であるとされている。
すなわち,目的物を検分に行った費用,代金支払のために融資を受けた利息,第三者からの有利な申込を拒絶したことによる損害などを含むが,目的物の利用や転売による利益などを含 まない。
もっとも,信頼利益が例外的に多額である場合には,履行利益を限度とすべきであろう。

 

 

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