司法試験の勉強会

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権利能力,意思能力及び行為能力とは?わかりやすく解説

一 各概念の意義

1 権利能力

 (1) 定義

私法上の権利及び義務の帰属主体となりうる地位または資格を権利能力と言う。
したがって,権利能力は同時に義務能力でもある。 「私権の享有は出生に始まる」という規定(一条の三)は,自然人は出生によって当然に法人格(権利能力)を取得することを意味する。全ての自然人が等しく権利能力を享有するという近代法の大原則は,ここには明言されていないが,現代の国家において当然認められている前提である。昔は,奴隷や小作人は 権利能力を有せず,権利主体たりえなかった。むしろ,封建領主の所有権の客体だったのである。しか し,今日では,人は誰でも生まれた時から死亡に至るまで権利能力を有する(権利能力平等の原則)。権利能力に関する規定は「公の秩序」に関する規定(強行規定)であって,権利能力を放棄したり制限した りすることは許されない。


(2) 権利能力の始期

1 権利能力の始期は,原則として「出生」の時である(一条の三)。この出生とは,生きて母体から完全に露出したときと解するのが通説である(完全露出説)。この点,出生の時期に関する刑法上の通説(一部露出説)とは異なる。
2 したがって,母体の胎内にあってまだ出産していない「胎児」は,本来権利能力を有しないはずであるが,それでは胎児の権利保護に欠ける場合が生じるので,民法では相続(八八六条),遺贈(九六五条) 及び不法行為に基づく損害賠償(七二一条)において,胎児も出生したものとみなされ,権利能力の主体たりうる。この「みなす」の意味については,法定停止条件説(通説・判例)と法定解除条件説の二説があり,前説は一条の三の文理を重視し,胎児である間は権利能力はなく,生きて生まれた場合に遡って出生したものと扱われるに過ぎないと説くのに対し,後説は死産の少ない現状を踏まえ,胎児と言えども制限的な権利能力を認め,生きて生まれてこなかった場合に遡及的にその権利能力が消滅するに過ぎないと説く。

前説と後説の具体的な違いは,後説が胎児のため法定代理人を置くことを認める点にあると言えよう。 したがって,一見後説の方が胎児の権利保護に厚そうであるが,阪神電鉄事件のように,出生前に相手方との間に胎児の請求権を放棄する旨の和解契約を締結してしまったような場合は,法定停止条件説の方が胎児の保護に厚い。


(3) 権利能力の終期

自然人の権利能力は死亡によって消滅する。失踪宣告によって死亡が擬制される(三一条)が,これは一定期間生死不明な者の権利関係を確定するものであって,その者の権利能力がこれによって消滅する わけではない。
法人の権利能力の消滅は,清算結了時である(七三条)。


(4) 外国人の権利能力

外国人とは,日本国籍を有しない自然人をいう。今日では平等主義の立場から内外人平等を原則とし, 法令または条約に禁止ある場合にのみ,これを制限しうるものとしている(二条)。 実例を挙げると,外国人の権利能力が当然に否定されているものとしては,鉱業権(鉱業法一七条),公証人たる資格(公証人法一二条)がある。

 

(5) 法人の権利能力

法人が法人格を認められるのは,それが取引単位たるにふさわしいと評価されることによる(新擬制説) から,法人に帰属しうる権利義務としては,まず財産法上の権利義務があげられる。身分法上の権利義務や肉体の存在を前提とする権利義務は法人には帰属しえない。ただ,名称権,名誉権のような人格権は法人も享有しうる。


2 意思能力


近代法における私的自治の原則は,各人は自分の行為によって自己を拘束する具体的規範を形成しうることを認める(個人意思自治の原則)のであるが,それは正常な意思活動に基づく行為によることを前提とする。すなわち,法律行為が本来の効果を生じるためには,行為の結果(それによる自己の権利義務の変動)を弁識・判断するに足るだけの精神能力,つまり意思能力を必要とする。人は誰でも権利能力を有するとしても,嬰児から老人までその精神作用の程度は千差万別であるから,権利能力者のうち一定の判断能力・精神能力ないし精神的資質を有する者と有しない者とを区別し,後者を意思無能力者と呼ぶのである。

すなわち,意思能力とは,行為の結果(それによる自己の権利義務の変動)を弁識・判断するに足るだけの精神能力を言い,通常,七歳程度の通常人の知能あたりがその分かれ目である。意思無能力者のなした法律行為の効果について条文はないが無効とするのが判例・通説である。また,不法行為責任については「責任能力」に関する規定があり(七一二条,七一三条),この責任能力不法行為における意思能力の対応概念である。


3 行為能力


私的自治の制度を完全に機能させるためには,意思能力を観念するだけでは不十分である。

第一に行為の当時,意思能力を有していなかったことをあとから証明するのは困難であり(正常だと判断され,不 利益を被る可能性もある),しかも,仮に証明に成功したとすれば,取引の相手方に不測の損害を与える こともある。そこで,意思能力のない者を定型化して,意思無能力者を保護するとともに取引の相手方を警戒させる必要がある。

第二に,意思能力者の中でも,市民社会における取引の複雑な利害関係や仕組みに対処する能力があるとは限らない。したがって,経済的な自衛力ないし競争力を有する者とそうでない者とを分けて,後者に対する保護監督の制度を設ける必要がある。 そこで形式的に,未成年者(三条),禁治産者(七条),準禁治産者(一一条)の三者を行為無能力者として定型化し,その財産管理権を制限するとともに,その保護機関を設け,行為無能力者の制限された管理権を補充させることとした。この行為能力は,体系上は私権の主体に関するものであるが,同時に法律 行為の効果を自己に帰属させるための要件の一つである。すなわち,自らの行為によって法律行為の効果を確定的に自己に帰属させる能力を,行為能力という。

(1) 行為無能力者の種類

行為無能力者の類型としては

1未成年者(満二〇歳末満の者)

2禁治産者(心神喪失の常況に在る者で,家庭裁判所によって禁治産の宣告を受けた者)

3準禁治産者(心神耗弱者または浪費者で,家庭裁判所で準禁治産の宣告を受けた者)

の三つがあるが,具体的にどのような行為をなしうるか,裏を返せば法はどのような行為を取り消しうるものとしてこれらの者を保護せんとしているかは,三者三様で異なる。

つまり,1未成年者は,四条一項ただし書,五条及び六条に規定されているように,特定の行為だけ単独でなしうるのに対し,2禁治産者は,単独でなしうる行為はない(認知など,身分上の行為については争いあり),3準禁治産者は,特定の行為(一二条列挙事項)だけ単独になしえないのである。 この区別の態様については,準禁治産者→未成年者→禁治産者と,一般的に精神能力が低いとされる ほど,単独でなしうる行為の範囲も狭い,と言う関係になっているものと考えられよう。


二 付随論点

1 行為能力と意思能力の関係について

行為無能力者が法律行為をした際,意思無能力者でもあった場合,無能力者側は取消と無効のいずれの主張も可能か,いわゆる無効と取消の二重効の問題がある。 この点通説は,二重効を肯定し,いずれを主張することも可能とする。その理由としては,取消も無 効も法律行為の効果を否定する手段に過ぎず,無効の法律行為は無であって取り消す余地がないとするのは,法律的概念を自然的存在と同視するものであること,意思無能力たる行為無能力者の行為を取り消しうるに過ぎないとすると,禁治産宣告を受けていない意思無能力者の方が有利に扱われるという不都合な結果を生じる,などがあげられている。


2 民法四三条の「定款または寄付行為によりて定まりたる目的の範囲内で権利を有し
義務を負う」の意味について


この民法四三条の法意について,権利能力制限説,行為能力制限説,代表権制限説の三説があるが, 権利能力制限説は法人擬制説と結びつきやすく,行為能力制限説は法人実在説と,代表権制限説は新擬制説と結びつきやすい,と言われている。これらの説を区別する意義は,目的の範囲外の行為の効果が帰属する余地を認めるか否かにあるが,「目的の範囲内」の判断基準を緩く解する判例の傾向に鑑みれば,実質的な差異はほとんどなかろう。
権利能力,行為能力及び意思能力は民法の根本原理にかかわるものであり,その概念は誰しも一応の理解を持っていよう。本問は,どこまで書いたらよいか決断がつきにくいと思われるが,最低限,それぞれの概念と相互関係,とりわけ,意思能力だけでなく行為能力の制度も定められている理由について は,書くべきと思われる。また無能力者の相手方の保護のための制度(催告,法定追認等)について論述 することも考えられる。

 

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