司法試験の勉強会

司法試験の勉強会

現役弁護士が法学部1年生や司法試験受験者向けに法律の基礎を書くブログ。

信教の自由について判例とともに解説

一 はじめに

(1) 「信教の自由」は二〇条一項前段で保障されており,その中には,信仰の自由,宗教的行為の自由,宗教的結社の自由が含まれる。
信仰の自由とは,宗教を信仰するかどうかについて任意に決定する自由であり,個人の内心における自由である。
宗教的行為の自由とは,信仰に関して礼拝や祈を行うなど,宗教上の祝典,儀式,行事等を任意に行う自由である。宗教的行為への参加を強制されない自由も含まれており,二〇条二項はこの点を注意的に規定したものである。
宗教的結社の自由は特定の宗教を宣伝し,または共同で宗教的行為を行うことを目的とする団体を結成する自由である。

(2) 信教の自由は,それが内心の自由にとどまる限り,その保障は絶対的であるが,それが,外部的行為となって現れる場合には,他の精神的自由と同様内在的制約に服することになる。 信教の自由を規制する法令の合憲性判定は,経済的自由の場合に比べて,厳格な基準によって審査されなければならない(二重の基準論)。
二重の基準論の詳しい内容についてはここでは省略するが,その論拠は,精神的自由の優越的地位(民主主義の維持・運営に精神的自由が不可欠であるという点で精 神的自由が経済的自由に優越するということ)等に求めることができる。

二 政教分難の原則について

(1) 二〇条一項後段,同条三項は,国から特権を受ける宗教を禁止し,国家の宗教的中立性を明示し, 政教分離の原則を定めている。
政教分離の原則の趣旨は,国家がある宗教を特に優遇することはそれ以外の宗教の自由を抑える結果になるとともに,国家が全ての宗教を等しく優遇することも国家がそれによって無宗教の自由を抑える結果になる点で,宗教の自由に反すると考えられることから,国家と宗教を分離することによって信教の自由の保障を完全にしようとする点にある。
政教分離の原則の法的性格については,「制度的保障」と解するのが判例であるが,これには有力な反対説もある。
制度的保障とは,議会がその制度を創設維持すべき義務を課されその制度の本質的内容を侵害することが禁止されるというものであり,その目的は,本来的にはその制度の保障を通じて人権を保障することにある。
制度的保障と解するかどうかは,憲法訴訟の当事者適格等で問題になるが,後述する政教分離の程度に対しては論理的には影響しないはずである。
ただ,実際上,制度的保障と考える説の方が国家と宗教のゆるやかな分離を認める傾向にあるように思える。
(2) 政教分離の原則は,基本的には,国家と宗教を完全に分離しようとするものであるが,現代国家は,福祉国家として,宗教同体に対しても他の団体と同様に,社会給付を行わなければならないため, 国家が宗教と一定限度のかかわり合いを持つことは許容されると考えるべきである。
問題は,このかかわり合いをどの程度認めるかという点である。 この点については,1憲法が要請する政教分離は厳格な分離か緩やかな分離か,2政教分離原則に反するかどうかをいかなる基準で判断するか,に分けて考えることができる。
1ついては,現憲法の規定が設けられた背景,即ち,旧憲法下においては,神社神道は宗教ではないという前提で神道が事実上国教的待遇を受け,その結果,国家と神道との結びつきによる種々の弊害が生じ,信教の自由の保障が不完全であったという経験にかんがみ,現憲法二〇条,八九条等が規定され たことに照らすと,憲法は厳格な分離を要請しているものと解すべきであろう(ただし,判例は必ずし も厳格な分離を要求していると解していないように思える)。
2については,基本的には,問題となる国家行為の目的及びその行為から生ずる効果に照らし,そのかかわり合いが社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものと認められる場合に政教分離の原則に反するとする判例(最大判昭五二・七・一三津地鎮祭事件等)の立場が妥当であろう(目的効果基準)。
この基準は,元々アメリカの判例で形成されてきたもので,(1)当該国家行為が,世俗的目的を持つものであるかどうか,(2)その行為の主要な効果が宗教を振興しまたは抑圧するものかどうか,(3) その行為が宗教との過度のかかわり合いを促すものかどうか,という三つの要件のうち一つでも該当すれば政教分離違反になるというものである。
ただし,この目的効果基準は,適用のあり方次第では,国家と宗教の緩やかな分離を是認することになるので,1の憲法の趣旨を踏まえて,厳格に適用することが必要である。判例のこの基準の通用のあり方に対しては,ゆるやかな分離を容認するものとして,学説の批判が強い。

 

責問権の放棄・喪失とは?法学部1年生でも分かる解説

一 はじめに

責問権とは,裁判所や相手方の訴訟手続に関する規定に違背する行為に対して,異議を述べてその無効を主張する,当事者の訴訟法上の権能である(民訴法一四一条)。当事者が,訴訟手続規定の違背に対して異議を述べないことを明言することを,責問権の放棄といい(同条但書),一四一条本文によって当事者が異議を述べる権能を失うことを,責問権の喪失という。


二 責問権の趣旨

裁判所は,訴訟を主宰し,手続を進行させる権能を有する(一二六条以下,一五二条等)。訴訟の迅速かつ能率的な進行をはかる趣旨である。したがって,裁判所は,訴訟手続が適法に進行しているか否かを常時監視する義務を負う。しかし,裁判所といえども監視の目がゆきとどかないこともあり,むしろ, 自己の利益を確保することに対して常に目を配っている当事者の方が,手続法規違背に気づきやすい場合もある。この場合,後になってから裁判所が気づいたとしても,その時点から遡って手続を覆すと, 手続の安定性を害することになる。これが,当事者に責問権を与えた理由である。


三 責問権の放棄の趣旨

責問権は,右のように,訴訟手続の適法性の確保と,手続の安定を目的とするから,手続法規違背によって不利益を受ける当事者がその瑕疵を問題にせず,訴訟手続の適正を害する程度も軽徴であれば, 手続が積み重ねられた後になってからこれを問題にして従前の手続を覆す理由はない。したがって,当事者が,手続の違背を問題にしないことを明示したときは,当該訴訟手続の瑕疵は治癒したものとすべきである。これが責問権の放棄の趣旨である。


四 責問権の喪失の趣旨

当事者が責問権を放棄できるとしても,放棄前はいつでも責問権を行使できるものとすれば,手続はいつまでも安定せず,訴訟経済にも反する。そこで法は,責問権放棄の趣旨をさらにすすめ,当事者が 訴訟手続の瑕疵を知り,あるいは,知り得べき状態になったときに,当該瑕疵を問題にしないような外観をとれば,その意思にかかわりなく,瑕疵は治癒されると定めた。これが責問権の喪失の趣旨である。


五 責問権の放棄,喪失の対象

1 訴訟手続に関する規定違背
責問権の放棄,喪失の対象となるのは,訴訟の審理や進行に関する,裁判所あるいは当事者のなした 訴訟行為の,方式,要件,時期,順序,場所等に関する形式面に規定違背がある場合である。したがっ て,訴訟物に関する規定(例えば,訴訟物の特定を定めた二二四条一項)や,訴訟要件に関する規定(例えば,当事者能力を定めた四六条,訴訟能力を定めた四九条,当事者適格を定めた四七条)に違背した場合は,これに含まれない。
2 効力規定違背
裁判所あるいは当事者の訴訟手続に関する行為の形式を定めた法規の中には,一九〇条一項や一九三条一項のように,訴訟行為の効力とは関係のない規定もある。この種の規定違背があっても,当事者は もともと異議を述べることはできないから,責問権の放棄,喪失の対象とはならない。
3 任意規定違背
一四一条但書,本文は,訴訟手続に関する規定違背の中に責問権を放棄することができない規定違背のあることを前提とし,これを除いたものについて責問権の喪失を認めている。しかし,放棄できるものと放棄できないものとの区別の基準については,何ら明示するところがない。したがって,解釈で補わなければならないが,手がかりとなるのは,従前から述べてきたところの責問権の放棄,喪失の趣旨以外にはない。そして,これまでに検討してきたところに従えば,手続の適正の要請が,当該手続の安定の要請と比べてより強い場合には,責問権の放棄,喪失を認めるべき根拠は存在しないものと解される。つまり,責問権の放棄,喪失の対象となるのは,いわゆる任意規定違背の場合ということになる。 具体的な基準としては,絶対的上告理由の規定(三九五条)が一つの参考となろう。訴の提起や変更の方式(二二三条,二三二条二項),証拠調の方式(三四一条等),宣誓の方式(二八八条)等に関する規定は任意 規定,裁判所の構成(一八七条一項),裁判官の除斥(三五条),専属管轄(四二二条,四三一条),公開主義 (憲法八二条,裁判所法七〇条)等に関する規定は強行規定と解される

予断排除の原則とは?初心者にもわかりやすく解説

初めに

行刑事訴訟法は,憲法上の「公平な裁判所」という理念を実現するため,「予断排除の原則」を採用した。「予断」とは,いまだ適式に証明されていない事実をあたかも証明されたように信ずることであり,この「予断」は,公訴提起から証拠調終了までの訴訟の過程において,それぞれの場面で生じる可能性があるため,現行刑事訴訟法は,これを防止するために,諸々の規制を設けている。


一 公訴提起と予断排除


「予断排除の原則」が最も鮮明に表われているのは,公訴提起に関してである。旧刑事訴訟法においては,起訴と同時に捜査記録が裁判所に提出されていたのであるが,現行刑事訴訟法は,これを改め, 検察官の当事者的立場を強調し,「公平な裁判所」の性格を客観的にも保障するために,「起訴状一本主義」を採用した。同法二五六条六項は,起訴状には,裁判官に事件についての「予断」を生じさせる虞れのある書類その他の物を添付し,又はその内容を引用してはならないものと定め,検察官の一方的な証拠の添付・引用によって「予断」が生じることを排除している。この規定は,証拠の添付・引用に限らず,起訴状の記載方法一般について,「予断」を生じさせる虞れのある記載は許されないとする趣旨であると解すべきである。したがって,起訴状は,訴因明示の必要性を満たす限りにおいて簡潔に記載されるべきであり,被告人の前科等の記載は原則として許されず,前科が法律上犯罪構成要件となっている場合或いは自己の悪経歴・悪性行を相手方に告知することを手段とした恐喝というようなそれが犯罪事実の内容をなす場合など已むを得ないときに限り許されるにとどまる。なお,起訴状一本主義に違反したときは,公訴提起に関する方式違背として公訴提起を無効ならしめる(三三八条四号)とするのが通説判例である。


二 第一回公判までの手続と予断排除


「予断排除の原則」は,裁判官が全く白紙の状態で公判の審理に臨むことを要求するから,第一回公判期日前の諸手続についても種々の制約が加えられている。すなわち,第一回公判前の証拠調請求は許されず(同法規則一八八条但書),第一回公判前の証拠保全手続及び勾留に関する処分は,受訴裁判所ではなく,裁判官がなすものとされ(同法一七九条,二八〇条),第一回公判期日前に受訴裁判所がなす事前準備においては,事件について「予断」を生じさせる虞れのある事項につき打ち合せをすることが禁じられている(同法規則一七八条の一〇,一項)。


三 冒頭手続と予断排除


被告人は,当事者であると同時に証拠方法の一種であるから,その供述を求めることは,証拠調にあたる。したがって,冒頭手続における被告人の意見陳述に際しては,事件の争点を明らかにする限度においてその供述を求めうるにとどまり,犯罪事実の詳細な点についてまで質問し,供述を求めることは許されない。


四 冒頭陳述と予断排除


同法二九六条,同法規則一九八条二項は,検察官,弁護人,被告人の冒頭陳述につき,証拠とすることができず,又は証拠としてその取調を請求する意思のない資料に基づいて,裁判所に事件について偏見又は予断を生じさせる虞れのある事項を述べることを禁じているが,予断排除の精神からすると,たとえ証拠に基づくものであっても,攻撃防禦の対象を明らかにし,審理の対象を明確に示すという冒頭陳述の本来の趣旨を逸脱した陳述は許されないものと解すべきである。


五 個々の証拠の取調と予断排除


同法三〇一条は,自白は犯罪事実に関する他の証拠が取り調べられた後でなければ,その取調を請求することができない旨定めているが,これは,自白の性質上,どうしてもそれに頼りがちになる危険性があることから,自白の裁判官に与える予断を防止しようとしているものと解される。これとの関連で, 自白と同種の危険性を有する同種前科についての取調も同様の制限を受けるものと解されよう。以上は, 取調の順序についての制約であるが,その他,取調の方法についても,同法三〇二条において,捜査記録の一部についての証拠調の請求は,できる限り他の部分と分離してなすべき旨を定め,予断の防止をはかっている。

 

六 その他


なお,広い意味において予断排除の原則を制度的に保障するものとして,裁判官の除斥(二〇条),忌避(二一条)及び回避(規一三条一項)の制度がある。

 

外国人の基本的人権とは?わかりやすく解説

はじめに

本問は,基本的人権の享有主体というタイトルのもとに必ず論じられる論点である。
論じるべきポイントは,そもそも外国人は日本国憲法の保障する基本的人権を享有するのか,享有するとしてその範囲, 程度についてはどのように考えるべきかなどである。
人権の種類によって,その保障の程度も異なると考える以上は,問題となる人権ごとに個別に論じていくことが必要である。その際に,自由権とはどのような権利か,社会権とはどういう性質のものかというような基本的な理解が試されることになろう。
余裕があれば,主体である外国人の違いによって保障される範囲,程度に違いはないのか,すなわち長年日本に在住している外国人と単に一時的に滞在している外国人,あるいは不法入国者と別に解する余地はないのかという観点を示しておくとよいであろう。


外国人の人権享有主体性

人権享有否定説
そもそも外国人は人権を享有しないという考え方である。憲法第三章の標題が「国民の権利及び義務」 となっていることなどを根拠とする。しかし,日本国憲法の国際協調主義的な特色(前文など),日本国憲法の保障する人権の多くは個人としての人間に与えられている(一三条前段)前国家的なものであり,国籍の有無によって左右されるべきものではないと考えられることなどからこの見解は採りえないであろう。
2 人権享有肯定説
これが通説,判例である。理由は前記のとおりである。なお,人として当然有する人権は,不法入国の外国人も有することについて,最判昭和 25・12・28 民集四・一二・六八三。 なお,この説もすべての人権について無条件に保障が及ぶと考えているわけではなく,保障の及ぶ人権の種類,程度は別に論じる必要がある。


保障の及ぶ範囲・程度-総論

外国人も基本的人権を享有しうるとして,次にどのような権利の保障が及ぶかが問題となる。
1 文言説
この説は,外国人が享有できる人権と享有できない人権の区別の基準を形式的な憲法の条文の文言に求める考え方である。
自由権に関しては主として「何人も」という文言を用い,あるいは主体を明らかにしていない形式の条文となっているのに対し,社会権については「すべて国民は」という形式の条文になっているので,この説も根拠のない説ではない。
しかし,この説の問題点は,国籍離脱の自由という明らかに日本国籍を有する者が主体となるはずの人権について「何人も」という文言が使われていることである(二二条二項)。また,憲法制定者が外国人にも保障されるかどうかを考えて,「何人も」か「国民は」を使い分けたとは考えられないという指摘もある。結局この説は採用できない。
2 性質説
外国人が享有できる人権と享有できない人権との区別の基準を権利の性質によって区別しようという考え方である。
たとえば,精神的自由権などは,前国家的な性質を有し,国民の権利というよりも人間としての権利であり,外国人に対しても保障が及ぶが,選挙権,被選挙権などは国家意思の形成に関わる権利であるから,日本国民のみが保障の対象になる性質の権利であり,外国人には及ばないというように考えるのである。
判例も,この考え方を採っているものと解される。例えば,いわゆるマクリーン事件判決では「基本的人権の保障は,権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるものを除き,わが国に在留する外国人に対しても等しく及ぶ」としている(最大判昭和 53・10・4 民集三二・七・一二三)。


保障の及ぶ範囲・程度-各論

性質説に立つとして,享有しうる人権の種類・程度を具体的に検討しておく必要がある。
1 範囲
一般に享有しうる人権としては前述の自由権をはじめ,裁判を受ける権利(三二条),人身の自由(一八条)などが挙げられる。ただし,入国の自由についてはかつて問題になったこともあり,注意を要する。
外国人の人権という場合には,日本に既に入国している者についての問題であり,憲法上外国人に入国の自由を保障しているとは考えられない。現在の国際慣習上も外国人の入国の許否は国の裁量によって決定されるものと考えられている。
さらに一歩進めて再入国の自由についてはどうか。再入国については憲法上の保障されているという説もあるが,一律にこのようにいえるかは疑問であって,むしろ基本的には入国の自由と同一に考えられるべきものであろう。
ただし再入国は,全くの新規入国の場合と事情を異にする面があることにかんがみ,外国人の種類を分けて,日本国内に生活の本拠のある外国人の場合は,再入国は日本人の場合の帰国に準じて考えられることから,憲法上の保障が及ぶと解することも十分説得力のある考え方であると思われる。
これに対して一時的な居留外国人が一旦帰国した後に再入国しようとする場合には,新規入国の場合と特に別異に解する必要はないであろう。
他方,外国人に保障されないとされるのが参政権社会権である。前述のように参政権は国の政治に参加する権利として国民固有の権利であると考えられる。社会権は外国人であることだけでそもそも原理的に保障されないものというわけではないが,福祉国家実現のために国家の果たすべき原則としての意味合いが強く,したがって各国が政策として,まず自国民の社会権の充実に努力することは合理的で あり,外国人をある社会保障制度の対象外とすることも憲法上許されるというに留まる。
2 程度
性質上認められないとされるものを除いては外国人にも人権の保障が及ぶわけであるが,その程度については,日本人と全く同様というわけではなく,合理的理由があれば日本人と区別して扱うことは認められる。
3 政治活動の自由
外国人に政治活動の自由がどの程度保障されるかについては参政権と関連させて考えておくとよい。 前述したように選挙権,被選挙権という国家意思の形成に直接関わる権利は外国人には保障されない。
政治活動の自由は精神的自由権(二一条一項,表現の自由)としての側面を有し,この意味では外国人に対しても手厚い保護が認められてしかるべきであろう(たとえば,外国人の利害に直接関連する法案に対する賛否の意思を表すための行動などを想定されたい)。しかし,政治活動は同時に国家意思の形成に資する参政権的機能を有する。
したがって,政治活動の自由が外国人にどこまで及ぶのかは一律に決することはできず,政治活動の目的が適当なものか(先の例のように,自己の権利を守る目的であれば妥当なものと考えられようが,国家意思の形成を混乱させようという目的であれば不当なものと言えよう),その方法が目的に照らして相当なものかなどの諸点を勘案して保障が及ぶ活動かどうか具体的に判断していくべきであろう。
この点について,最高裁判所は「政治活動の自由についても,わが国の政治的意思決定又はその実施に影響を及ぼす活動等外国人の地位にかんがみこれを認めることが相当でないと解さ れるものを除き,その保障が及ぶ」とし(前記いわゆる「マクリーン事件」判決),文言上は政治的意思決定に影響を及ぼすような活動はすベて認められないかのような表現をしているが,かならずしも目的, 方法が相当なものまで保障が及ばないという趣旨ではないであろう。

 

 

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国会の両議院の組織について解説

 一 はじめに

憲法四二条は,「国会は,衆議院及び参議院の両議院でこれを構成する。」と規定し,これをうけて, 四三条一項は,「両議院は,全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。」と規定する。旧憲法においても二院制が採用され,三三条は,「帝国議会貴族院衆議院ノ両院ヲ以テ成立ス」と規定し,三五条は,「衆議院ハ選挙法ノ定ムル所ニ依リ公選セラレタル議員ヲ以テ組織ス」と規定したが,同時に, 三四条は,「貴族院貴族院令ノ定ムル所ニ依リ皇族華族及勅任セラレタル議員ヲ以テ組織ス」と規定した。二つの憲法における両議院の組織を比べると,いわゆる第二院の議員の選ばれ方が,全く異なることがわかる。


二 両議院の組織

1 両議院を組織する議員
(一) 両議院の議員の資格 憲法四四条本文は,両議院の議員の資格(被選挙権)を法律事項とし,さらに,同条但書で平等原則を貫いている。四四条をうけて,公職選挙法一〇条は,被選挙権の積極要件として,日本国民であり,かつ,衆議院議員については年齢満二五年以上の者,参議院議員については年齢満三〇年以上の者であることを規定している。
(二) 両議院の議員定数 両議院の議院定数も法律事項である(憲法四三条二項)。これをうけて公職選挙法は,衆議院議員定数を五一一人(四条一項,同法附則二項),参議院議員の定数を二五二人(うち一〇〇人は全国,一五二人は地方選出議員。四条二項)と定めている。
(三) 両議院の議員の任期 衆議院議員の任期は四年で,衆議院解散の場合には,その期間満了前に終了する(憲法四五条)。参議院議員の任期は六年で,三年ごとに議員の半数が改選される(四六条)。
2 両議院の議員の選挙
(一) 選挙人の資格 憲法四四条本文は,両議院の議員の選挙人の資格(選挙権)を法律事項とし,さらに,一五条三項で,成年者による普通選挙を保障したうえ,四四条但書でその趣旨を徹底させている。以上をうけて,公職選挙法九条一項は,選挙権の積極要件として,日本国民であり,かつ,年齢満二〇年以上の者であることを規定している。
(二) 選挙に関する事項 憲法四七条は,選挙区,投票の方法,その他両議院の議員の選挙に関する事項を法律事項とし,公職選挙法がこれを具体化している。


三 両議院の組織の比較

以上みてきたところによれば,両議院の組織について憲法上の差異があるのは,任期と解散の有無のみである。法律上の差異としては,被選挙権の年齢制限,定数,全国区制の有無である。これらの点から,両議院を組織の面に限って比較すると,参議院衆議院に対する特質として,院を構成する議員の身分の永続性と安定性,院自体としての継続性があげられる。そこで,組織の点に限って参議院の存在意義をみると,衆議院の解散後,新国会の成立前に生じた緊急の事態に,立法機関として対処することにあるといえる。参議院の緊急集会は,このための制度である(五四条二項但書)。


四 両議院の組織の運営

二院制を採用する以上,それぞれの議院は,他の議院から独立して組織され,かつ運営されなければならない。そこで,憲法は,一つの院の議員が他の院の議員になることを禁じるとともに(四八条),組織の構成員たる議員の資格に関する争訟の裁判と役員の選任について,院の自主制を認め(五五条,五八 条一項),さらに,院の組織の規律に関する規則制定権を,各院に与えた(五八条二項)。

 

租税法律主義とは?司法試験解説

一 はじめに

憲法の第七章「財政」は,その条文の技術的色彩から敬遠されがちであるが,国の財政を国民の代表 からなる国会のコントロールのもとに置いているという趣旨,目的を理解し,この目的に立ちかえって 十分検討しておいていただきたい。本問は,そのなかでも国民の権利に直接影響を及ぼす租税賦課に関 する国会のコントロールを論ずるものである。


二 租税法律主義の内容

租税法律主義は「新たに租税を課したり,現行の租税を変更したりするには,法律または法律の定め る条件によらなければならない」(八四条)という原則を言う。
1 趣旨 「租税」とは,国(地方公共団体)が,その経費を支弁するため国民から強制的に無償で徴収する金銭をいう。
租税が国民から強制的に財産権を奪うものである以上,国の唯一の立法機関である国会(四一条) の承認を得なければならないことは当然であり,あらためてこの旨の憲法の明文を要するものではない。
しかし,日本国憲法は三〇条で,国民の納税義務の面から租税が法律で定められるべきことを規定すると同時に,八四条で今度は課税権の面から規定することにより,「代表なくして課税なし」という近代憲法の基礎理念の重要性を宣明しているものと考えられる。
そして,明治憲法にも,租税法律主義を定める条文があったが,そこでは「新ニ租税ヲ課シ及税率ヲ変更スルハ法律ヲ以テ之ヲ定ムヘシ」(六二条一項)としつつも,同条二項で「但シ報償ニ属スル行政上ノ 手数料及其ノ他ノ収納金ハ前項ノ限ニ在ラズ」として,例外が認められていたのに比して,日本国憲法 の租税法律主義にはこのような例外を認めず,全面的に適用される原則となっていることも大きな意味をもつ。
2 法律で定めるべき内容-課税要件法定主義 租税について法律で定めるとは租税の種類ないし課税の根拠のような基本的事項だけでなく,納税義務者,課税物件,課税標準,税率のような実体的要件や賦課,納付,徴税の手続も法律によって定められることを要する(課税要件法定主義,最大判昭和 30・3・23 民集九・三・三三六,同昭和 60・327 民集三九・二・二四七)。
したがって,これらの定めを白紙的,包括的に委任することは許されない。そして,当然のことながら,法律上に課税要件を規定するにあたっては課税要件が明確でなければならない。不明確な規定は結局のところ,白紙的,包括的委任と同じことになるからである。
3 「法律に定める条件」 八四条が「法律」のほかに「法律で定める条件」によることを規定している。
この趣旨は,租税につ いて細目に至るまで法律で定めることは実際的でないし,これを要求することも適切ではないので,ある範囲で法律以外の法形式に委任することを許したところにあると考えられる。
そのように解されるとしても問題は委任の許される範囲である。租税法律主義を定めた本質が忘れられてはならない。
したがって,許されるとしても非常に限られた範囲(たとえば徴収手続の細目について)に限って,しかも個 別具体的なものでなければならないと解すべきである。
たとえば,政令に課税の重要な点を定めることを委任することは許されない。通達により実質的に課税がなされるのも認められない。
それまで非課税物品とされてきたパチンコ球遊器が,通達により課税物件である「遊戯具」に該当するとされ,物品税が賦課されたため,その課税処分を争った事件はこの観点から十分検討しておく必要がある。
一般に通達は,公平に課税するために,租税に関する法律の解釈を統一する目的でだされるものであり,本件も パチンコ球遊器が「遊戯具」に当たるかという物品税法の解釈の名の下になされたものであるが,一片の通達によりそれまで非課税物品であったものを課税物品とすることが許されるのか疑問がないわけではない。
たとえ,パチンコ球遊器が物品税法の遊戯具にあたるという解釈が正しく,したがってこれま で本来課税すべきものにしてこなかったのであるとしても,長期間にわたり非課税とされてきたのであれば,立法上の手当てが必要だったという批判がある。 この点について最高裁判所は「通達の内容が法の正しい解釈に合致するものである以上,本件課税処 分は法の根拠に基づく処分」であるとしている(最判昭和 33・3・28 民集一二・四・六二四)。


三 租税法律主義の例外


一般に租税法律主義の例外として認められているものとして論じられているのは以下の三点である。
それぞれ,どうして例外として認められるのか理解しておくことが必要である。
1 地方税 地方税法は,税目,課税物件,税率など重要な点を条例に委ねている(三条)。これは形式的には法律以外の法形式への委任には違いないが,地方自治の本旨(憲法九二条)から地方税地方公共団体によって決めるのが相当であると考えられ,住民の代表である地方議会の議決によって作られる条例によるのであるから,租税法律主義の要請を満たしている。この意味で,実質的には例外というのは当たらないであろう。
2 関税―その一 関税定率法は報復関税,相殺関税,不当廉売関税などのように関税率を一定の物品について定めることを政令に委任しているが(五条ないし二〇条の二),これは関税制度が国民経済の動向に影響するところが大きく,また対外関係に影響を及ぼす場合が少なくないという特殊性から認められた例外である。
3 関税―その二 関税法は関税率について条約による規定があるときは,法律の定めに関わらず,条約によることとし ている(三条但書)。これは前記の関税の特殊性から認められているが,条約締結には国会の承認が必要 であり(憲法六一条),しかも条約は法律よりも形式的効力においてまさると解されていることを考えれ ば,これも厳密には例外とは言えないのであろう。

 

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使用者の被用者に対する求償権の制限とは?

一 求償権の規定の趣旨


使用者と被用者との間には,通常,雇傭契約その他の契約関係が存在する。被用者が,使用者の事業 の執行について,故意または過失によって第三者に損害を与える行為は,一般的には,被用者としての 使用者に対する善管注意義務に違反する行為である。この場合,使用者に,右の第三者に対する損害賠 償義務が発生する(民法七一五条一項)。使用者がこれを履行すれば,使用者に損害が発生する。そして, 右の被用者の使用者に対する善管注意義務違反の行為と使用者の損害との間には因果関係があるから, 被用者は使用者の損害を賠償する義務がある(四一五条)。しかし,使用者は,右のように,被用者がなした不法行為について,被用者とともに責任を負うことになるから(七一五条一項),被用者がこれによっ て免責されると誤解されないように,注意的に同条三項が規定された。なお,使用者と被用者との間に 具体的な契約関係が存在しない場合においても,外観上または事実上の使用関係があれば,使用者は, 被用者のなした不法行為の責任を免れることはできないが,この場合は,使用者と被用者との間には契 約関係が存在しないから,求償権の根拠は,被用者の使用者に対する不法行為責任である。


二 求償権の制限の必要


使用者は,七一五条一項によって,本来被用者が負うべき損害賠償責任を,被用者とともに負担する のであるから,被用者より先に賠償義務を履行すれば,本来の賠償責任者である被用者に,全額求償で きるはずである。ところが,企業活動における使用者の地位と被用者の地位との間には,次のような著 しい違いがある。第一に,使用者は,企業を経営するに際し,危険な労働,あるいは,損害をひきおこ しやすい労働を,被用者にまかせてたうえ,その被用者の労働により収益をあげていること。第二に, 使用者は,被用者の労働条件を整備して,危険を予防しうる地位にあるが,被用者は,そのような地位 にないこと。第三に,使用者は,企業活動上の定型的な危険から生じる損害を他に分散させるため,保 険制度を利用し,あるいは,価格に転嫁する等の処置をとりうる立場にあるが,被用者はそのような立 場にないこと。 そこで,損害賠償制度の目的である,損害の公平かつ合理的な分担をはかるため,使用者の求償権の 行使を制限すべきであるという考え方が生まれた。


三 求償権の制限の理論構成


求償権の根拠は,前記のとおり,被用者の債務不履行ないし不法行為である。したがって,損害の公 平かつ合理的な分担のための理論構成としては,民法に明文のある過失相殺(四一八条,七二二条二項) を基本とし,具体的事情によっては,権利濫用(一条三項),信義則(同条二項)等の一般条項によるべきも のと考える。ただし,この問題に関する学説は多岐にわたっている。なお,最判昭五一・七・八民集三 〇・七・六八九は,信義則による構成を採用した原判決を支持している。

 

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