①日本国憲法は,その七六条一項において「すべて司法権は,最高裁判所及び法律の定めるところによ り設置する下級裁判所に属する」旨規定するが,司法権自体の意義については何ら記述するところがな い。
また,司法権を,文字どおり,国家の司法作用を行う権能と訳してみても,その司法作用の意義が 明らかにされない限りは意味がない。そこで,司法作用の意義については,形式的意味において「国家 機関の中から立法機関と行政機関を除外した司法機関としての裁判所の権限に属する国家作用である」 といわれることがあるが,これでは,トートロジーに過ぎず,やはり意味を為さない。
問題は,実質的 意味における司法作用の意義である。
この点,日本国憲法の歴史的沿革から,「具体的争訟について,法 を適用し,宣言することによって,これを裁定する国家作用」と解する具体的事件説が通説であるが, 日本国憲法が米法の沿革を汲んでいるとしても,その米国の司法でさえ「宣言的判決」を許容している ことからすれば,具体的事件性が司法権の限界を画するものと解する必然性はないとして,いわゆる抽 象的事件説を主張する学者もある。
最高裁判所は,いわゆる警察予備隊違憲訴訟において,「我が裁判 所は具体的な争訟事件が提起されないのに将来を予想して憲法及びその他の法律命令等の解釈に対して 存在する疑義論争に関し抽象的な判断を下すごとき権限を行いうるものではない」(最大判昭二七・一〇・ 八民集六・九・七八三)と判示して,違憲立法審査権を行使する前提として具体的事件性が必要なことを 明言している。
②司法権の範囲
次に,司法権の範囲に行政事件が含まれるかが問題となる。この点,大日本帝国憲法をみると,司法 権の及ぶ範囲は民事事件及び刑事事件に限定され,行政事件は別に定める行政裁判所の所管するところ とされていた(六一条)。
しかしながら,現行憲法においては,行政裁判に関する各別の規定を欠くばか りか,七六条二項において,特別裁判所の設置と行政機関による終審的裁判が禁止され,さらに八一条 において,行政処分の違憲性判断が裁判所に委ねられているのであって,行政事件も司法権の範囲に含 まれていると解するのが通説である。
この点,裁判所法三条一項は,「裁判所は,日本国憲法に特別の 定めのある場合を除いて一切の法律上の争訟を裁判し,その他法律において特に定める権限を有する」 と規定するのであり,行政事件が裁判所の行使する司法権の範囲内にあることを当然の前提としている ものと解される。
③すでに見たとおり,司法権は裁判所に帰属し(七六条一項),特別裁判所の設置及び行政機関による終 審的裁判は禁止される(同条二項),その趣旨は,すべての国民に裁判所による裁判の機会を保障し,法 の下の平等を徹底するとともに,司法権を裁判所に統一的に帰属させることによって,法の解釈の統一 をはかることにある。
なお,特別裁判所の設置の禁止については,憲法自身が弾劾裁判所という例外を 認めている(六四条)し,行政機関が前審として裁判を行うことは七六条二項によって禁止されるところ ではない。例えば,公正取引委員会の審決,収容委員会の裁決等があり,その裁判に不服のある者につ いては,裁判所に出訴することが認められているのである。
④司法権の限界
そこで,次に,司法権の限界を考えてみよう。この際,その大部分が,実は,これまでみてきた司法 権の意義,範囲,帰属から導かれる問題であることに注意する必要がある。
第一に,憲法自身が明文で認めている限界がある。前記の弾劾裁判所による弾劾裁判(六四条)のほか, 両院議員の資格争訟裁判(五五条),さらに内閣による恩赦決定(七三条七号)をあげることができる。
第二に,さきに述べた司法作用の性格から,司法権によって解決できる紛争は,具体的な法律上の争 訟に限られることになる。そこで,まず,事件性を欠く抽象的,仮定的,将来的な問題は司法権の及ぶ 範囲外ということになるとともに,法令の適用によって終局的な解決をはかることのできない問題(例え ば宗教教義の解釈に関する紛争)は司法審査の対象にならないことが判る(いわゆる板まんだら事件や国 家試験の合否判定をめぐる判例を参照のこと)。
第三に,法律上,他の国家機関の判断に裁判所が拘束される場合がある。例えば,公取委の審決の取 消を求める訴えにおいて,裁判所は同委が実質的な証拠によって認定した事実に拘束される(独禁法八〇 条一項)。憲法七六条二項との関係が問題となるが,独禁法八〇条は二項で「実質的な証拠の有無は,裁 判所がこれを判断する」と規定して,疑義を回避している。
第四に,憲法上の明文はないが,憲法の採用する権力分立構造から解釈上導き出される限界がある。 すなわち,
1立法府及び行政府の自律権にかかわるもの(両議院の議事手続,懲罰など―最大判昭三七・ 三・七民集一六・三・四四五等),
2団体の純粋な内部事項にかかわるもの(地方議会の内部規律,出席 停止などの懲罰,ただし議員の除名など単なる内部規律の問題といえない重大事項は司法審査の対象と なる-最大判昭三五・一〇・一九民集一四・一二・二六三三等),
3立法上及び行政上の裁量にかかわるもの(経済的規制など,ただし,その規制が著しく不合理であることの明白な場合には司法審査の対象と なる-最大判昭四七・一一・二二民集二六・九・五八六等),
4いわゆる統治行為にかかわるもの(条約 の内容,国会の解散など,原則的には違法と認められても司法審査の対象とならないのであるが,最高 裁判所は「一見極めて明白に違憲無効」な場合に司法審査を行う余地を留保している―最大判昭三四・ 一二・一六刑集一三・一三・三二二五等)などである。
このうち,4の統治行為については,権力分立構 造だけでは説明できないとして,司法の自己抑制(内在的制約)をその根拠に加える説が有力であるが,い ずれにしても国民の権利保障の観点からすると,統治行為の範囲を安易に拡大することは許されないと の指摘がある。 第五に,やはり憲法上の明文はないが,国際法上の限界がある。
例えば,外交使節など治外法権を認 められた者にわが国の司法権は及ばない。日本国憲法は,わが国が国際社会の一員であることを宣言し ているのであるから,同憲法下の司法権が,確立された国際法規や国家間の合意によって限界づけられ ることは明らかであろう。
⑤違憲立法審査権
本問で,違憲立法審査権について詳しく触れる余裕はないが,その意義ぐらいは簡単に押さえておく べきだろう。違憲立法審査権には三つの根拠があるといわれる。第一に,最高法規たる憲法(九八条)に 違反する法令は無効だとの法論理的根拠である。第二に,三権分立の下では,司法府も立法府同様,憲 法の解釈適用ができてしかるべきだとの制度的根拠である。第三に,立法府及び行政府の専断から国民 の人権を守り,裁判所に「憲法の番人」たる役割を負わせるべきだとの実践的根拠である。違憲立法審 査権の意義が,最終的には第三の根拠の実現にあることはいうまでもないものと思われる。