司法試験の勉強会

司法試験の勉強会

現役弁護士が法学部1年生や司法試験受験者向けに法律の基礎を書くブログです。ブログを続けるモチベーションになるので、1日1回ブログ村のボタンを押して頂けるとありがたいです。

期待可能性とは?わかりやすく解説


期待可能性とは,行為当時の具体的状況下で,行為者にその違法行為に出ないで,他の適法行為を行なうことを期待しうる可能性をいう。

この理論は,いわゆる規範的責任論の展開とともに生まれた,と言われている。



刑法上の責任の内容たる要素の性質をどう理解するかについては,従来,いわゆる心理的責任論が支配的であった。

この見解は,責任の実体を行為者の心理的状態に求め,その相違に基づき故意・過失という責任形式を分けた。

責任能力のほかに,このような故意・過失が具備されれば,直ちに責任を問い得ることになる。

これに対して,いわゆる規範的責任論は,責任の実体は故意・過失といった単なる心理的状態にとどまるものではなく,それを基礎としつつも,法規範の期待に反して違法行為をなしたという規範の面からの非難に,その実体を求める。

従って行為者が行為を行なった際の具体的事情によっては,その者を非難し得ない場合もある。

ここに期待可能性が登場するわけである。

規範的責任論の展開の中で生まれた期待可能性理論の端緒として学者により紹介されるのは,ドイツ の裁判所の判例(いわゆるライネンフェンゲル事件)である。

馬車の馭者が,誤って馬車で通行人を負傷させたという事件で,裁判所は,馭者が,その馬車馬が暴れ馬であり危険であることを知り,雇主に対して何度も馬を交換してくれることを頼んだが受け容れられないまま,職を失うことを恐れて強く言えず,止むなくその馬を使用していたという事実を認定して,職を失ってまで雇主の命令にさからうことは期待しがたいとして,その馭者を無罪と認めた事例である。

 


期待可能性の体系上の位置付けについては争いがある。

第一説は,期待可能性を,責任能力,故意・過失という心理面と並ぶ第三の責任要素即ち規範面とし てとらえる。

第二説は,故意・過失自体を規範面を含む責任形式,非難類型ととらえ,従って期待可能性を故意・ 過失の構成要素としてとらえる。
第三説は,期待可能性の不存在を責任阻却事由ととらえる。

いわゆる規範的責任論に立てば,故意・過失自体を責任形式としてとらえ,行為者に対する非難の類型として理解するのが理論的にも簡明である。

とすれば,規範的要素も当然これに含ませるべきである。

また,期待可能性が単に責任の存否の面のみでなく,その軽重の程度を決定する要素になると考えるのが妥当だとすれば,これを単なる消極的責任要素ととらえるのは疑問が残る。かようにして第二説をとりたいと考える。



期待可能性の存否の判断基準についても争いがある。

第一説は,行為の際の行為者自身の具体的事情を基準とする。

第二説は,行為者の立場に置かれた平均人を基準とする。

第三説は,期待する側の国家や法秩序を基準とする。

第二説が通説的見解であり,第一説に対しては,この説では行為者ができないことは期待しないということになり,法秩序の弛緩化を招くおそれがある,との批判がなされている。

しかし,およそ期待可能性というものの本来的意味が,まさにその行為者の人間性の弱さに対して率直に法的顧慮を払おうと する点にあるとすれば,その存否の判断も,あくまで行為者自身の立場に求めるべきである。

また責任能力の観念(これは平均人の観念が基準となっている。)を前提とする以上,具体的行為者を基準としても, 法秩序の弛緩化を招くとはいえないであろう。以上のような点から第一説をとりたいと考える。



以上を前提に,若干の問題点について検討する。

まずその適用範囲であるが,体系上の位置付けについて三で述べたような結論をとれば,故意犯,過失犯を区別することなく,全ての犯罪に適用される責任阻却事由であることになる。

次に,期待可能性が,刑法上に規定のある場合に限っての責任阻却事由であるにとどまるのか,いわゆる超法規的責任阻却事由と認められるのかが問題となる。

期待可能性を無制限に拡張していくことは, 刑法の規定を骨抜きにする恐れがあることは否定できないが,しかし右に述べてきたようなこの理論の本来の意味,そもそもの性格から考えると,あまり硬直に考えるのも妥当でない。

後説が妥当であろう。

その具体例としては,1過剰防衛,過剰避難などの法定されたもののほか,2その服従が絶対的に義務付けられている場合の上司の違法な命令(違法拘束命令)に基づく行為,3抵抗し得ない心理的強制下の行為,4義務の衝突などがあげられる。



最後に判例であるが,高裁レベルではこの理論を正面から認めたものが多い(次に掲げる二つの最高裁判例の原審はいずれもその例である。)。

しかし,最高裁には,正面から判断したものはなく,むしろ, 「従来の諸判例は期待可能性の理論を肯定も否定もしていない」と判示した例もある(最判昭三三・一一・四刑集一二・一五・三四三九)。

なお,一般論としてではあるが,右五の問題点について,「期待可能性 の不存在を理由として刑事責任を否定する理論は,刑法上の明文に基づくものではなく,いわゆる超法規的責任阻却事由と解すべきである。」と判示した判例もある(最判昭三一・一二・一一刑集一〇・一二・ 一六〇五。もっともこの判例は,「期待可能性の理論は法的根拠が十分でない。」という上告理由に答えたものであり,それ以上に事案に則して具体的に判断はしていない)。