甲は,友人Aから,こん包した段ボール箱を,「この中には,俺の大事にしている古文書 が入っているが,一週間保管してくれ。」と言われて預かった。甲は,預かって三日目になり,古 文書なら売ればもうかると思い,段ボール箱をそのまま,古本屋に持ち込み,「古文書がたくさ ん入っている。高価で買い取ってくれ。」と購入を申し込んだところ,古本屋が「中を開けて見 せてくれ。」と言うので,甲において,段ボール箱のこん包を解いた。すると,中には古文書が 二〇点入っていたので,古本屋は,全部を三五万円で買い取ってくれた。
甲の刑事責任を論ぜよ。
一
こん包されて容易に開披しえない状態にされた古文書入りのボール箱が委託された場合,その占有は, 委託者Aと受託者甲のいずれに属するであろうか。
委託者Aの占有に属するとすれば,本問における甲 の行為は,成立時点は別として窃盗罪(刑法二三五条)を構成することになり,受託者甲の占有に属する とすれば,甲の行為は,成立時点は別として横領罪(二五二条一項)を構成することになるのである。
そして,右のいずれの犯罪が成立するかは,窃盗罪の法定刑が「一〇年以下の懲役」とされているのに対 し,横領罪の法定刑は「五年以下の懲役」とされており,法が,横領罪について,窃盗罪との比較に関 する限りにおいては,かなり軽い罪と考えていることからしても重大な問題である。
判例理論は,「他 人からその所有の衣類在中の縄掛け梱包した行李を預かり保管中質種に供する目的で梱包を解き行李か ら衣類を取り出したときは,衣類の窃盗罪を構成する」(最決昭三二・四・二五刑集一一・四・一四二七) というように,封緘,施錠,こん包などによって容易に開披しえない状態にされた包装物が委託された 場合,包装物の全体については受託者が占有を有するが,その内容物については,受託者は自由に支配 しうる状態にないから,委託者が占有を保持する,というものであり,このように解するときは,こん 包等の施された包装物の全体を領得すれば包装物全体につき横領罪が成立し,その内容物だけを抜き取 ればその内容物につき窃盗罪が成立することとなる。
これに対しては,包装物全体を領得した場合より も,その内容物だけを抜き取った場合の方が,かえって刑が重くなって不合理であると批判されている。
学説としては,1こん包等の施された包装物全体に対する占有が受託者にある以上,その内容物もまた 委託物として委託を受けた受託者の占有に属すると考えるべきであり,包装物全体として横領罪が成立 するのはもちろんのこと,個々の内容物についてもまた横領罪が成立する(牧野説),2こん包等の施さ れた包装物を委託された受託者は,委託者の占有を補助する機関にすぎず,受託者が現に包装物を所持 していても,その占有は委託者に属すると考えるべきであり,その内容物を抜き取った場合のみならず, 包装物全体を領得した場合にも横領罪が成立する(団藤説),という二つの見解がある。
「占有」とは財物 に対する事実上の支配であり,委託者が包装物にこん包等を施して容易に開披しえない状態にした上で 委託した場合に,どの程度まで委託者の事実上の支配力が残っているかについての評価の違いが,前途 した見解の差となって表われているものと考えられる。
即ち2説は,委託物が受託者の自宅という受託 者の排他的に管理する場所内に置かれているということよりも,委託者がこん包等を施したことにより 容易に開披し得ない状態にあるということの効果を極めて重視し,委託者は包装物全体に対してまでも 事実上の支配力を残していると評価しているのに対し,1説は,右の効果を問題とせず,こん包等の施されていない包装物と全く同様,委託者の事実上の支配力は残っておらず,その内容物についても受託 者が事実上の支配を及ぼしていると考えており,判例理論は右の効果につき両学説の中間的な評価を下 しているものということができる。
二
次に,右の各見解による犯罪の成立時期について考える。1説によれば,甲の行為は横領罪を構成す ることになるが,横領行為とは,不法領得の意思を実現する行為であり,行為者が委託物を自己の物と して不正に領得する意思のもとに,その意思を表現する外部的行為を行なえば足り,必ずしもその物に 対する売却等の現実の処分行為を必要としない(領得行為説。なお越権行為説の立場においても,保管義 務に違反する意思を表現する外部的行為がなされれば足りるので,成立時期については異ならない。)と 解されるので,甲が,古文書を古本屋に売却すべく,段ボール箱を自宅から持ち出した段階,遅くとも 各段ボール箱を古本屋に持ち込んだ段階で委託物を売却するという不法領得の意思が発現したものとし て横領罪は既遂に達すると考えられる。
判例理論によれば,こん包された包装物全体を領得すれば横領 罪が成立するので,1説と同様である。2説によれば甲の行為は窃盗罪を構成するが,甲はAの占有補 助者にすぎないので,窃盗罪における窃取行為としては,受託者が委託者を排除して,委託物について の独占的支配を取得するに至ったときに完成するものということができ,段ボール箱を古本屋に持ち込 んだ段階で窃盗罪は既遂に達すると考えられる。
三
窃盗罪,横領罪は状態犯と呼ばれ,一定の法益侵害の発生によって犯罪は終了し,その後,法益の侵 害されている状態は存続しても,それは犯罪事実とは見られず,従って,状態犯の完成後,その法益侵 害状態の下で行われた行為は,当該構成要件において評価しつくされている限り,犯罪を構成しないと 解されている(不可罰的事後行為の理論)。
しかし当該構成要件の予定する範囲を超えた新たな法益侵害 のなされた場合には犯罪が成立することになる。本問においては,甲は,A所有の古文書を,自己所有 の物のように装って,古本屋をだまして金員の交付を受けた場合は,古本屋の財産という新たな法益を 侵害しているので,別個に詐欺罪が成立することになる。