甲と乙は,通行人から金品を脅し取ろうと共謀の上,甲が通行人 A を脅して金品を要求し た。しかし,A がなかなか言いなりにならないので,甲は,何が何でも奪ってやろうと考え,こ ぶしで A の顔面,腹部を殴りつけ,さらに倒れてしまった A の全身を足で蹴った。当初,乙は付 近で見張りをしていたが,甲の暴行を見て怖くなって逃げ出した。甲は,その後,倒れている A の上着のポケットから現金の入った財布を抜き取った。
甲と乙の刑事責任について論ぜよ。
一
まず,甲の刑事責任について検討する。
本問で甲は通行人 A を脅して金品を要求しているので,この点で甲に恐喝罪の実行の着手がある。し かるに,A がなかなか言いなりにならないので,甲は,何が何でも奪ってやろうと考え,こぶしで A の顔面等を殴るなどの暴行を加えた上,A の上着のポケットから現金の入った財布を抜き取っている。
甲 の A に対する暴行は反抗を抑圧する程度の暴行と認められるから,この点で,甲に強盗罪(二三六条) が成立する。
そして,恐喝のための暴行,脅迫行為が行われた後に,さらに犯意が強盗罪に進んで,反 抗を抑圧する程度の暴行,脅迫行為が引き続いて行われた場合については,強盗罪一罪が成立するとい うのが通説・判例である(福岡高那覇支判昭五五・五・二五高検速報一二七一)。 したがって,本問の甲に強盗罪が成立することは問題がない。
二
次に,乙の刑事責任について検討する。
本問で甲と乙は,通行人から金品を脅し取ることを共謀している。そこでまず,一般に,共謀共同正 犯の概念が認められるかが問題となる。共謀共同正犯とは,二人以上の者が特定の犯罪の実行について 謀議し,その中の一部の者が実行行為をした場合に,実行を担当しなかった者に対しても共同正犯の成 立を認める場合をいう。
これについては,(a)刑法六〇条は「共同して犯罪を実行した」と規定している のに対し,謀議行為に参加したにすぎず,犯罪を「実行」したといえない者を処罰するのは罪刑法定主 義に反する。(b)これを認めなくとも,「背後の大物」は教唆犯,幇助犯として処罰できるし,これを認め ると,教唆犯,精神的幇助犯との区別が曖昧になることなどを理由に,これを否定する見解もあるが, 現在においては,これを認めるのが確立した判例であり,学説の多数でもある。
ただし,その理論的根 拠については,(1)数人の犯罪の共謀によって,犯罪実現の共同目的のための共同意思主体が形成され,そ の中の一部の者が行った実行行為は,共同意思主体の活動にほかならないから,その構成員全員が共同 正犯としての罪責を負うとする立場(共同意思主体説),(2)共謀の結果生じた犯罪遂行の合意のもとに, 共謀者が相互に利用,補充しあう関係になるから,一部の者が実行行為を行えば,間接正犯類似の関係 から共同正犯としての罪責が肯定されるとする立場(間接正犯類似説),(3)謀議者が単に謀議に参与した というだけでなく,直接実行者の意思に現実に作用し,それをして遂行せしめる場合,あるいは,他人 の行為を支配して自己の犯罪を遂げる場合,共同正犯となるとする立場(行為支配・優越的支配説)な どがある。
このうち,(1)の立場は,最も早く共謀共同正犯概念を理論付けたものであったが,この立場 は,共同意思主体を犯罪の主体と考えるのは団体責任を認めることになり,近代刑法の個人責任の理念 に反するなどと批判され,現在では,(2)あるいは(3)の立場が有力である。最高裁は,いわゆる練馬事件 判決(最判昭三三・五・二八刑集一二・八・一七一八)において,(a)共謀,(b)共謀に基づく共謀者の全 部又は一部の者の実行行為を要件として,共謀共同正犯を認めている。
三
ところで,本問で乙は付近で見張りをしていたにすぎない。そこで,共謀共同正犯概念を認めないと した場合,「見張り」は共同正犯であるか幇助犯であるかが問題となる。
共同正犯と幇助犯の区別の基 準については,行為者の主観を基準とする立場(主観説),実行行為の一部分担の有無を基準とする立 場(形式的客観説)などが主張されているが,最近は,関与者の犯罪行為全体における役割の実質的重 要性によって判断すべきとする立場(実質的客観説)が有力である。そして,この立場は,(a)犯罪遂行 の意思の強度,(b)謀議に際して果たした役割の積極度,(c)他の共謀者の実行行為に対する影響度等をそ の判断基準とする。
なお,この点について,従来の判例は,殺人罪,窃盗罪,強盗罪の見張りについて は共同正犯であることを認め(最判昭二三・三・一六刑集二・三・二二〇など),賭博罪の見張りにつ いては幇助犯としている(大判大七・六・一七刑録二四輯八四四)。
本問では,乙は,事前に甲と金品を脅し取ることを共謀しており,また,「付近で」見張りをしてい ることなどから,いずれの立場によっても,乙については,幇助犯の成否を検討する必要はなく,共同 正犯の成否が問題となると解してよいであろう。
四
以上のことから,本問で乙については強盗罪の共同正犯の成立が問題となるが,乙は甲の暴行の最中, それを見て怖くなって逃げ出していることから,乙に共同正犯関係からの離脱が認められないか,すな わち,共同正犯者のうちの少なくとも一人が実行行為に着手したのちに,他の一人が翻意し,犯罪遂行 を中止したが,他の共同正犯者の以後の行為によって結果が発生した場合,生じた事態に関して,その 者は刑事責任を免れるかが問題となる。
この場合,犯罪結果が発生した場合は中止犯の成立は認められ ないとしてこれを否定するのが判例であるが(最判昭二四・一二・一七刑集三・一二・二〇二八),こ のような場合は離脱者の心理的影響力,物理的影響力はともに断絶したと評価でき,既遂犯の刑事罰を 帰責するのは不合理であるとして,1共同正犯から離脱する意思を表明し,2他の関与者の了解を得, 3結果防止のための積極的行為を行って,結果との因果性を遮断したこと(例えば,共同正犯を基礎付 ける共謀の効果が一旦消滅し,他の者が新たに自己の意思で実行したと認められる場合)を要件として, 離脱者は,未遂の罪責に止まり,中止犯の成立が認められるとする立場が有力である(平野,福田)。
しかしながら,本問の場合,乙は「甲の暴行を見て怖くなって逃げ出した」のであり,何ら結果防止 のための積極的行為を行っておらず,また,甲の了解を得たとの事情は窺えないから,この立場によっ ても,乙に共同正犯関係からの離脱は認められない。
五
最後に,本問で乙は,通行人から金品を脅し取ろうとする意思,すなわち,恐喝の故意であったにも かかわらず,結果として,他の共同正犯者甲が強盗の結果を発生させていることから,乙に強盗罪の故 意が認められるか,つまり,共同正犯者の一人が認識した犯罪事実と現に他の共同正犯者が実行した犯 罪事実とが食い違う場合,その者に発生した結果についての故意が認められるかが問題となる。
いわゆ る共犯と錯誤の問題である。 この場合においても,基本的には,単独犯の場合の錯誤論の応用によって解決することになる。そし て,このように共同正犯者間で異なった構成要件間にわたり錯誤がある場合については,およそ犯罪と なる事実を認識して行為し,犯罪となる結果を生ぜしめた以上,三八条二項の範囲内で,錯誤のある者 にも故意犯の既遂犯の成立が認められるとする立場(抽象的符合説)もあるが,この立場によると,(a) 故意による犯罪類型の個別化が不能となり,また,(b)事実上故意犯が,その故意内容と関係なく,生じ た結果に対応して認められることになり,責任主義に反することから,この立場は採りえない。
この場 合は,錯誤のある者については,原則として発生事実について故意は否定されるが,例外的に,両者の 構成要件が同質的で重なりあっている場合は,その重なりあっている限度で,軽い罪についての故意の 成立を認めるとする立場(法定的符合説)が判例・通説である(最判昭五四・四・一三刑集三三・三・ 一七九)。この立場は,(a)故意が過失に比べ重く処罰されるのは,構成要件事実を認識した以上,規範に 直面し,反対動機が形成可能であったにもかかわらず,あえて犯罪行為に出た点に反規範的人格態度が 認められ,重い道義的非難が可能だからであるが,異なる構成要件間においては,結果に対して何ら規 範の問題が与えられていない,(b)しかし,認識事実と発生事実が構成要件的に重なりあっていれば,そ の限度で,行為者に規範の問題は与えられていることを理由とする。
なお,この「重なりあい」は,罪質的な同質性,すなわち,(a)保護法益の同一性及び(b)行為態様の類似性が基準となると考えられる(鹿 児島地判昭五二・七・七判タ三五二・三三七参照)。
これを本問にあてはめてみると,甲と乙は,金品を脅し取ろうと共謀しているから,当初恐喝の故意 であったと認められるところ,途中から甲は何が何でも奪ってやろうと考え,こぶしで A の顔面等を殴 りつけるなどの暴行を加えているから,強盗の故意を生じ,その結果,A の上着のポケットから現金の 入った財布を抜き取っていることから,強盗の結果が発生している。そして,恐喝罪と強盗罪は,構成 要件的に重なりあい,恐喝の意思で強盗に加功した者は恐喝の責任を負うとするのが判例である(最判 昭二五・四・一一判例体系三〇・一〇一八)。
六
以上のことから,甲には強盗罪(二三六条),乙には恐喝罪(二四七条)がそれぞれ成立 し,甲と乙とは恐喝罪の範囲で共同正犯(六〇条)となる。