司法試験の勉強会

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不能犯とは?わかりやすく解説

不能犯の意義


行為者が犯罪的結果を意欲してある行為を行ったが,その結果を発生させるに至らなかったという場合には,ピストルで仇敵を射殺しようとしたが弾丸が命中しなかったというように首尾よく行えば結果を発生させえたのに失敗した場合と,砂糖に殺人力があると信じて仇敵に砂糖水を飲ませたというようにそもそもそのような行為では結果が発生するはずがない場合の二つが考えられる。

前者は,刑法四三条の未遂犯として処罰されるが,後者は,不能犯と呼ばれ,改正刑法草案二五条も「行為が,その性質上,結果を発生させることのおよそ不能なものであったときは,未遂犯としてこれを罰しない」と規定している。

すなわち,予備の段階を超えて実行の着手の段階に達したように見える行為であっても,実行の着手としての内実を欠くために最初から結果発生の不可能な場合は,不能犯として不可罰と考えら れているのである。


不能犯と未遂犯との区別基準


「一」でみてきたように,未遂犯は可罰的とされるのに対し,不能犯は不可罰とされるため,どのような基準をもって両者を区別するかが重要となる。

区別の基準は,横成要件実現の可能性,すなわち危険性の有無に求めるのが通例であるが,「危険性」をどうとらえるかということにつき,旧派と新派との争いの影響も受けて複雑な様相を呈している。

1 純主観説

これは,行為者が,いやしくも犯罪的意思をもって行為した以上,常に未遂犯であって,不能犯ではないとする見解で,未遂の処罰根拠を行為者の性格の危険(犯罪反覆の危険)に求める立場から主張される。

したがって,不能犯の観念は実際上認められないが,殺人の目的で丑の刻参りをするといったような迷信犯についてだけは,不可罰とされる。

しかし,当該見解の根底にある新派理論が,罪刑法定主義 による刑罰権の抑制という時代的要請に沿わないものとしてほば克服されたといってよかろう。
2 抽象的危険説(主観危険説)

行為の当時,行為者が認識した事情を基礎として,客観的見地から危険の有無を判断し,行為者の予 期したとおりに計画がすすんだならば,一般に,結果が発生したであろうと考えられる場合には,抽象的危険,すなわち法秩序に対する危険が認められ,未遂犯が成立するが,そのような結果を生じなかったと認められる場合には不能犯となるとする。

当該見解は,未遂の可罰性を行為者意思ないし計画内容 の危険性に求め,一般人の危険判断を介在させることにより危険性の客観化を指向している。

たとえば, 殺人の目的で砂糖を食べさせたという場合に,行為者が砂糖に殺人力があると考えていたのであれば, 一般人からみても何らの危険は感じないから不能犯であるが,砂糖を青酸カリと誤認していたのであれ ば,未遂犯とするのである。

この見解に対しては,後者に該当するときであっても,一般人が青酸カリでなく砂糖と見抜けたようなときにまで未遂犯の成立を認めるのでは,一般人による危険性判断を採用した趣旨が没却されるとの批判がある。
3 具体的危険説

この見解は,行為の当時,行為者が特に認識していた事情及び一般人が認識しえたであろう事情を基礎とし,客観的見地から結果発生が可能であるとみられるときは,具体的危険が認められるから未遂犯であるが,結果が発生しえないと考えられるときは,具体的危険が存しないから不能犯とする。

通説的地位を占めている見解である。

未遂の処罰根拠を行為の結果発生の危険に求め,刑法が禁止するのは, 一般人の立場からみて法益を侵害すると考えられるような行為と考え,行為自体の客観的危険性の有無によって,可罰と不可罰の分水嶺を決しようとする。

たとえば,致死量に至らない毒薬を人に投与した 場合には,科学的には結果発生の危険は存在しなくとも,一般人の観点からは結果発生の危険を感ずるから未遂犯が成立し,砂糖を毒薬と間違えて他人に投与した場合には,一般人ならそのような誤認をしないといえるのであれば,不能犯となる。

当該見解についても,一般人からみて危険性がないという場合の危険性の程度をどのように解するのかという点に関して批判がある。

すなわち,行為者が危険と考えても,「一般人が一笑に付し去る程度のもの」,「一般に笑うべきナンセンス」だと解される場合のみ を除外するのであれば,不能犯とされる範囲は非常に限定されてしまい,結局は抽象的危険説と同様の結論になる場合が多いのではないかというのである。
4 絶対的不能・相対的不能

当該見解は,不能の観念を,一般に結果の発生しない場合である絶対的不能と,当該具体的場合における特別の事情から結果を生じない場合である相対的不能とに分け,前者を不能犯,後者を未遂犯とす る見解である。未遂の処罰根拠を現実的な法益侵害への直接的な危険に求め,結果発生の危険を,行為者の意思や計画と全く無関係に,客観的・外部的に,かつ事後的な立場から判断しようとする点に特色がある。

この見解によれば,死者を生きた人と思って殺害行為に出たような場合は,絶対的不能であり,不能犯であるが,殺害の目的で居室に爆弾を投げ込んだところ, ちょうど外出中だったという場合は,相対的不能であり,未遂犯だとされる。

これに対しては,絶対的不能と相対的不能との区別が浮動的だと批判される。

すなわち,実際の適用場面においては,相対的不能と認定される範囲が著しく拡大し,具体的危険説等の危険説とほぼ同一の結論に帰着するのであって, 当該見解も,結局は,行為の有する危険性を一般人の観念するそれととらえざるをえない,というのである。


判例の動向


判例は,最判昭二五・八・三一刑集四-九-一五九三にみられる如く,「不能犯とは,犯罪行為の性質上結果発生の危険を絶対に不能ならしめるものを指す」と述べ,絶対的不能・相対的不能説を採っているかのような文言を用いている。

しかしながら,具体的事実の解決に際しては,必ずしも絶対的不能・ 相対的不能説のみに依拠しているのではなく,実質的には具体的危険説によっているとする見解が有力である。
1 客体の不能

行為者が行為に及んだところ,犯罪の客体が存在しなかったがゆえに結果が発生しなかった場合である。

客体の不能については,大判昭二・六・一七刑集六-二〇八が,胎児が生存していた事例につき, 傍論として,死胎児に対して堕胎行為を行っても罪とはならない旨判示し,観念的には不能犯を認めているが,これ以外は不能犯を認めていない。

すなわち,強盗の目的で通行人を襲ったところ,被害者が 懐中物をもっていなかったため奪取の目的を遂げなかった場合(大判大三・七・二四刑録二〇-二六-一 五四六),窃盗の目的で物置内を物色したが,目的物が存在しなかったため窃取に至らなかった場合(大 判昭二一・一一・二七刑集二五-二-五五)につき,「通行人カ懐中物ヲ所持スルカ如キハ普通予想シ得ヘキ事実ナレハ」等の理由からそれぞれ未遂犯の成立が認められ,死亡直後の死者に対して日本刀で突き刺した事案につき,一般人の観察によってもまだ生存していると信じられる状況にあったとして殺人未遂罪の成立を認めた広島高判昭三六・七・一〇高刑集一四-五-三一〇がある。
2 方法の不能

方法の不能についても,判例は,不能犯を認めるのに消極的傾向が強いといえる。

すなわち,殺人の 目的で殺鼠剤を被害者の食用に供する味噌汁中に投入したが,右薬剤が致死量に達しなかった場合(大判 大八・一〇・二八法律新聞一六四一-二一),殺人の目的で被害者に青酸カリを飲ませたが,たまたまその純度が低く,かつ,その分量が致死量に達していなかったため死亡しなかった場合(最判昭二七・八・ 五裁判集六七-三一),空気を被害者の静脈に注入したが,空気が致死量以下だった場合(最判昭三七・ 三・二三刑集一六-三-三〇五),実包装填の拳銃の引金を引いたが,安全装置の故障のため不発に終わった場合(東京高判昭二六・六・九特報二一-一〇六),拳銃の引金を引いたものの,たまたま実弾が装填されていなかった場合(福岡高判昭二八・一一・一〇特報二六-五八)につき,いずれも未遂犯の成立が認められている。その理由は,「毒物ハ人ノ致死量ニ達セサル場合卜雖摂取者ノ身体的状況其ノ他 ノ事情ニ依リ死ノ結果ヲ惹起スルノ危険ナキヲ保セサルコト経験則上顕著ナルヲ以テ」とか,「静脈内 に注射された空気の量が致死量以下であっても被注射者の身体的条件その他の事情の如何によっては死の結果発生の危険が絶対にないとはいえない」という点にある。

また,最判昭五一・三・一六刑集三〇 -二-一四六は,導火線の欠陥により,これに点火して投げつけるだけでは爆発しない爆弾につき,「爆弾の構造上,性質上の危険性と導火線に点火して投げつける行為の危険性の両面から,法的な意味において,構成要件を実現する危険性があったと評価できるかを判断されなければならない。」として,本 件爆弾の欠陥は基本的構造上のものでなく,導火線に点火して投げつける行為には爆発を惹起する高度の危険性があったとして,爆発物取締罰則一条所定の「使用」にあたらないとした原判決を破棄してい る。

これらとは反対に,大判大六・九・一〇刑録二三-九九九は,硫黄では絶対に殺害の結果を惹起し えないとして不能犯としているのが注目される。


四 まとめ


不能犯か否かは,当該行為が実行行為性を有するか否かという問題であり,その意味で,実行の着手 についての考え方,未遂犯の可罰性の根拠の如何と密接に関連する。したがって,これらを考慮しながら,不能犯についての自説を展開し,判例の動向を検討していく必要があろう。