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信教の自由と政教分離について現役弁護士がわかりやすく解説

信教の自由の内容

信教の自由は,近代憲法史における精神的自由権の中心として,世界各国の憲法の人権規定の中でも重要な位置を占めている。

我が国においても,信教の自由は,明治憲法に定められていたが(二八条),周知のとおり,実際には国家と神社神道が特定の関係にあり,徹底さを欠く結果となった。

これに対し, 日本国憲法は,二〇条で信教の自由の保障について詳細に定めている。

信教の自由の内容については種々の見解があるが,一般的には以下のものが考えられている。

1宗教上の信仰の自由

これは内心の自由であり,思想及び良心の自由(一九条)の一部とも考えられる。すべての宗教を信じない自由も含まれることになる。

2宗教上の信仰発表の自由・3宗教を宣伝する自由

いずれも内心の思想等を外部に発表するものであり,表現の自由(二一条一項)の一部とみることもできる。

4宗教的行為の自由

宗教上の信仰の目的で礼拝し,集会し,結社を作る自由であり,宗教的集会や結社の自由は,集会及 び結社の自由(二一条一項)の一部でもある。宗教的行為の自由には,積極的自由(行う自由)のほかに消極的自由(行わない自由)も含み,憲法二〇条二項が明文上これを明らかにしていると考えられるであろう。

信教の自由を「保障する」という意味は,公権力によって,これらの自由が何ら制限されず,また, 1ないし4の行為を理由として何ら不利益を課されないことにある。

かつての「踏絵」のように公権力が信仰の表明を強制することは,1の信仰の自由のうち,信仰について沈黙を守る自由を侵害することになるので許されないことになる。

なお,ここでいう「宗教」自体の定義も困難な問題であるが,この点については「超自然的,超人間的本質(すなわち絶対者,造物主,至高の存在等,なかんずく神,仏,霊等)の存在を確信し,畏敬崇拝する心情と行為」という定義をした判例(名古屋高裁昭和 46 年5月 14 日判決・行裁例集二二巻五号六八 〇頁)が参考になると思われる。

信教の自由の限界

信教の自由は,一で述べたとおり,思想及び良心の自由,表現の自由,集会及び結社の自由とも関連し,精神的自由権として最大限に尊重されなければならない。

しかし,信教の自由も,それが内心における信仰の自由にとどまる場合以外は,公共の福祉(一二条,一三条等)の要請を実現するための内在的な制約を受ける。

たとえば,精神障害平癒を祈願するための加持祈に際し,当該精神障害者の身体に 火傷を負わせたうえ,殴打を加え,これにより同人を死亡するに至らせたような場合は,たとえ右行為が宗教的行為としてなされたものであっても,信教の自由の制限を逸脱した行為として,傷害致死罪が成立することになる(最高裁昭和 38 年5月 15 日大法廷判決・刑集一七・四・三〇二)。

政教分離

1 意義

憲法は,国家と宗教を分離することで信教の自由の保障を強化しようとしている。これが政教分離である。すなわち,政教分離とは,国家がすべての宗教に対して中立的立場をとることによって,国家の非宗教的性格の実現をはかり,国家からの信教の自由の侵害を防ぐ制度である。
国家がある特定の宗教を優遇すること(たとえば国教的地位を与えること)は,他の宗教の自由を制限し,当然許されないが,更に,国家がすべての宗教を等しく優遇することも,それにより無宗教の自由を制限するおそれがあるので許されないことになる。
日本国憲法が,このような政教分離原則をとっていることは,二〇条一項後 段,三項からみても明らかであり,国家の非宗教性が憲法上も要請されているのである。なお,政教分離は,一般的にはいわゆる制度的保障と解されていることについても留意していただきたい。
ところで,政教分離の考え方については,市の体育館建設に際して行われた神道による地鎮祭に対し, 公金が支出された,いわゆる津地鎮祭事件を契機に,二つの見解が主張されている。

第一説
政教分離について国家と宗教の厳格な分離を要求するもので,前掲名古屋高裁判決や,最高裁昭和 52 年7月 13 日大法廷判決(民集三一巻四号五三三頁)の少数意見の考え方である。

第二説
国家と宗教の完全な分離は不可能であり,政教分離には内在的限界があるとするもので, 右最高裁大法廷判決の多数意見の考え方である。

この見解によれば,政教分離を厳格に貫こうとすれば かえって社会生活の各方面に不合理な事態が生ずることになるので国家は実際上宗教とある程度関わり合いを持たざるを得ないとの考えを前提としたうえで,その関わり合いが,信教の自由の保障の確保という制度の目的との関係で,いかなる場合にいかなる限度で許されないかを検討することになる。
その基準としては,「当該行為の目的が宗教的意義をもち,その効果が宗教に対する援助,助長,促進又は 圧迫,干渉等になるような行為」か否かという,いわゆる「目的効果基準」が用いられている。
この見解によれば,地鎮祭の目的は世俗的であり,効果も神道を援助,助長,促進しまたは他の宗教を圧迫, 干渉するものではないので,地鎮祭は二〇条三項の「宗教的活動」に該当しないと考えられている。

2 内容

政教分離の内容としては,以下の三つのものがあげられる。

特権付与の禁止(二〇条一項後段)

この場合の「特権」とは,宗教団体から区別して特定の宗教団体に与えられるもののほか,他の団体から区別して宗教団体のみに与えられる一切の優遇的地位,利益も意味する。特定の宗教の国教化は,「特権」の最たるものといえよう。

政治的権力行使の禁止(二〇条一項後段)

この趣旨は,国家が政治上の権力を宗教団体に付与することを禁止したものと考えられる。したがっ て,宗教団体が政治的活動をすることは差し支えない。

宗教的活動の禁止(二〇条三項)

1 で述べたとおり,「宗教的活動」のとらえ方については,政教分離を厳格に解する見解と限定的に解 する見解で広狭の差が生ずることになる。

公金支出の制限

なお,八九条も信教の自由を支える条文であるから留意していただきたい。すなわち,宗教上の組織 もしくは団体に対する公金支出,財産供用の禁止(八九条)は,政教分離を財政面から裏付けるものであっ て,信教の自由を確保するうえで重要な制度である。