司法試験の勉強会

現役弁護士が法学部一年生向けに本気の解説をするブログです。

正当防衛と緊急避難の共通点及び相違点について

正当防衛(刑法三六条一項)とは,簡単に言うと,犯罪構成要件に該当するが,急迫不正の侵害に対し,自己または第三者の権利を守るためにやむを得ずなした行為であり,緊急避難(刑法三七条一項本 文)とは,犯罪構成要件に該当するが,自己または第三者の生命・身体・自由・財産に対する現在の危難に対し,これを避けるためやむを得ずなした行為である。

共通点について

正当防衛と緊急避難との共通点の第一点は,いずれも,自己または第三者の権利が侵害されようとする緊急状態における権利を守るための行為である点である。
これに関連して,正当防衛における侵害の急迫性と,緊急避難における危難の現在性とは同一であると解されている。
もっとも,後述のように,正当防衛の守るべき権利には制限がないが,緊急避難のそれは生命・身体・自由・財産に限定されている点は異なっている。

共通点の第二点は,結論的に違法性が阻却されることになる点である。
この点,緊急避難は正当防衛と異なり,違法性阻却事由ではなく責任阻却事由であるという学説もある。
しかし,後述するように緊急避難には法益の権衡が要求され,守ろうとした法益と侵害した法益がバランスを失するときは緊急避難が成立しないが,緊急避難が責任阻却事由であるとすると法益の権衡を要求するのは不適切であることになる。
また,緊急避難は第三者法益を守るためであっても認められ得るが,それを期待可能性の 減少で説明するのはかなり困難である。正対正の関係であることから定められた厳格な要件を満たす行為であって初めて緊急避難が成立するのであり,その行為は社会的相当性を逸脱しておらず,違法性が阻却されるものと考えるのが妥当であろう。

共通点の第三点は,手段方法の相当性を欠いた場合,過剰防衛(刑法三六条二項),過剰避難(刑法 三七条一項但し書)となり,刑の軽減または免除が可能となる点である。

相違点について

正当防衛と緊急避難との相違は,一言で言うと,前者が急迫不正の侵害に対する行為であるのに,後者が現在の危難に対する行為である点である
すなわち,前者は「正対不正」の関係であるのに対し, 後者は「正対正」の関係である。 この点が両者の要件の相違となって現れる。正当防衛は,急迫不正の侵害に対し,自己または第三者の権利を防衛するため,必要性かつ相当性のある行為であることが要求される。
緊急避難は,自己または第三者の生命・身体・自由・財産に対する現在の危難を避けるため,他にとるべき手段がなくやむを得ずなした行為であり(補充性),侵害した法益が守ろうとした法益を越えないこと(法益の権衡)が要求される。
この補充性・法益の権衡は,それぞれ正当防衛における必要性・相当性に対応するものであるが,いずれもより厳格なものである。
正当防衛における必要性は,他にとるべき手段がなかったことまで意味するものではなく,相当性も,侵害した法益が守ろうとした法益を多少でも越えてはいけないことまで要求するものではない。
また,前述のように,正当防衛の守るべき権利には制限がないが, 緊急避難の場合は制限がある。

 

正当防衛と緊急避難の共通点及び相違点について

正当防衛(刑法三六条一項)とは,簡単に言うと,犯罪構成要件に該当するが,急迫不正の侵害に対し,自己または第三者の権利を守るためにやむを得ずなした行為であり,緊急避難(刑法三七条一項本 文)とは,犯罪構成要件に該当するが,自己または第三者の生命・身体・自由・財産に対する現在の危難に対し,これを避けるためやむを得ずなした行為である。

共通点について

正当防衛と緊急避難との共通点の第一点は,いずれも,自己または第三者の権利が侵害されようとする緊急状態における権利を守るための行為である点である。
これに関連して,正当防衛における侵害の急迫性と,緊急避難における危難の現在性とは同一であると解されている。
もっとも,後述のように,正当防衛の守るべき権利には制限がないが,緊急避難のそれは生命・身体・自由・財産に限定されている点は異なっている。

共通点の第二点は,結論的に違法性が阻却されることになる点である。
この点,緊急避難は正当防衛と異なり,違法性阻却事由ではなく責任阻却事由であるという学説もある。
しかし,後述するように緊急避難には法益の権衡が要求され,守ろうとした法益と侵害した法益がバランスを失するときは緊急避難が成立しないが,緊急避難が責任阻却事由であるとすると法益の権衡を要求するのは不適切であることになる。
また,緊急避難は第三者法益を守るためであっても認められ得るが,それを期待可能性の 減少で説明するのはかなり困難である。正対正の関係であることから定められた厳格な要件を満たす行為であって初めて緊急避難が成立するのであり,その行為は社会的相当性を逸脱しておらず,違法性が阻却されるものと考えるのが妥当であろう。

共通点の第三点は,手段方法の相当性を欠いた場合,過剰防衛(刑法三六条二項),過剰避難(刑法 三七条一項但し書)となり,刑の軽減または免除が可能となる点である。

相違点について

正当防衛と緊急避難との相違は,一言で言うと,前者が急迫不正の侵害に対する行為であるのに,後者が現在の危難に対する行為である点である
すなわち,前者は「正対不正」の関係であるのに対し, 後者は「正対正」の関係である。 この点が両者の要件の相違となって現れる。正当防衛は,急迫不正の侵害に対し,自己または第三者の権利を防衛するため,必要性かつ相当性のある行為であることが要求される。
緊急避難は,自己または第三者の生命・身体・自由・財産に対する現在の危難を避けるため,他にとるべき手段がなくやむを得ずなした行為であり(補充性),侵害した法益が守ろうとした法益を越えないこと(法益の権衡)が要求される。
この補充性・法益の権衡は,それぞれ正当防衛における必要性・相当性に対応するものであるが,いずれもより厳格なものである。
正当防衛における必要性は,他にとるべき手段がなかったことまで意味するものではなく,相当性も,侵害した法益が守ろうとした法益を多少でも越えてはいけないことまで要求するものではない。
また,前述のように,正当防衛の守るべき権利には制限がないが, 緊急避難の場合は制限がある。

 

正当防衛と緊急避難の共通点及び相違点について

正当防衛(刑法三六条一項)とは,簡単に言うと,犯罪構成要件に該当するが,急迫不正の侵害に対し,自己または第三者の権利を守るためにやむを得ずなした行為であり,緊急避難(刑法三七条一項本 文)とは,犯罪構成要件に該当するが,自己または第三者の生命・身体・自由・財産に対する現在の危難に対し,これを避けるためやむを得ずなした行為である。

共通点について

正当防衛と緊急避難との共通点の第一点は,いずれも,自己または第三者の権利が侵害されようとする緊急状態における権利を守るための行為である点である。
これに関連して,正当防衛における侵害の急迫性と,緊急避難における危難の現在性とは同一であると解されている。
もっとも,後述のように,正当防衛の守るべき権利には制限がないが,緊急避難のそれは生命・身体・自由・財産に限定されている点は異なっている。

共通点の第二点は,結論的に違法性が阻却されることになる点である。
この点,緊急避難は正当防衛と異なり,違法性阻却事由ではなく責任阻却事由であるという学説もある。
しかし,後述するように緊急避難には法益の権衡が要求され,守ろうとした法益と侵害した法益がバランスを失するときは緊急避難が成立しないが,緊急避難が責任阻却事由であるとすると法益の権衡を要求するのは不適切であることになる。
また,緊急避難は第三者法益を守るためであっても認められ得るが,それを期待可能性の 減少で説明するのはかなり困難である。正対正の関係であることから定められた厳格な要件を満たす行為であって初めて緊急避難が成立するのであり,その行為は社会的相当性を逸脱しておらず,違法性が阻却されるものと考えるのが妥当であろう。

共通点の第三点は,手段方法の相当性を欠いた場合,過剰防衛(刑法三六条二項),過剰避難(刑法 三七条一項但し書)となり,刑の軽減または免除が可能となる点である。

相違点について

正当防衛と緊急避難との相違は,一言で言うと,前者が急迫不正の侵害に対する行為であるのに,後者が現在の危難に対する行為である点である
すなわち,前者は「正対不正」の関係であるのに対し, 後者は「正対正」の関係である。 この点が両者の要件の相違となって現れる。正当防衛は,急迫不正の侵害に対し,自己または第三者の権利を防衛するため,必要性かつ相当性のある行為であることが要求される。
緊急避難は,自己または第三者の生命・身体・自由・財産に対する現在の危難を避けるため,他にとるべき手段がなくやむを得ずなした行為であり(補充性),侵害した法益が守ろうとした法益を越えないこと(法益の権衡)が要求される。
この補充性・法益の権衡は,それぞれ正当防衛における必要性・相当性に対応するものであるが,いずれもより厳格なものである。
正当防衛における必要性は,他にとるべき手段がなかったことまで意味するものではなく,相当性も,侵害した法益が守ろうとした法益を多少でも越えてはいけないことまで要求するものではない。
また,前述のように,正当防衛の守るべき権利には制限がないが, 緊急避難の場合は制限がある。

 

訴訟条件とは?わかりやすく解説

一 総説

訴訟条件(訴訟要件)とは,公訴の有効要件をいう。  訴訟条件が欠けている場合(訴訟障害という。)は,公訴の提起が許されず(もっとも,有効な公訴の提 起のような訴訟条件はこの場合問題にならない。),公訴が存在したとしても実体的判決(有罪もしくは無 罪の判決)をすることができず形式的裁判で訴訟手続を打ち切らなければならない。このように,訴訟条 件は,一部の例外(例えば,被告人が,公訴提起後,管轄区域外に転居したような場合)を除いて,訴訟 手続を通して終始存在することが必要とされる。訴訟条件の追完が許されるかについては議論があり,訴 訟経済等を理由にこれを肯定する説もあるが,判例(大判大五・七・一刑録二二巻一一九一頁)はこれを 消極に解するものと考えられている(なお,最判昭三三・一・二三刑集一二・一・三四,最決昭三六・一 〇・三一刑集一五・九・一六五三参照)。  
なお,訴訟条件は,これが欠けている場合無罪もしくは刑の免除の実体的判決がされる点で,処罰条 件とは区別されなければならない。  
訴訟条件は,一般的訴訟条件と特殊的訴訟条件(親告罪の告訴のように一定の事件のみに必要とされる もの),絶対的訴訟条件と相対的訴訟条件(土地管轄のように被告人の申立が必要なもの),積極的訴訟条 件と消極的訴訟条件(同一事件の訴訟継続のようにある事実の不存在が必要とされるもの)などに分類さ れることもあるが,公訴棄却,管轄違の事由と免訴事由との区別に対応して,形式的訴訟条件(手続条件) と実体的訴訟条件(訴訟追行条件)とに区別されることが一般的である。  
以下,この区別に従って,訴訟条件をみていくこととする。

二 形式的訴訟条件

形式的訴訟条件とは,これが欠けたままでは訴訟追行を許さないものをいう。三二九条,三三八条, 三三九条がこれを規定するが,三二九条の場合は管轄違の判決をし,三三八条の場合は判決で三三九条 の場合は決定でそれぞれ公訴を棄却することになる。
三三八条四号の例としては,親告罪における告訴の不存在,訴因の不特定,道路交通法の反則行為に つき反則金納付通告の不存在,公訴権濫用(理論的には肯定されるが現実的にはほとんど考えられない。) 等がある。  
形式的訴訟条件の共通点としては,その存否の判断に事件の実体に止ち入る必要がなく,純手続的事 項について審理すれば足りるという点が挙げられる。もっとも,三三八条二号,三号,三三九条一項五 号については,ある程度の実体に立ち入った判断が必要となる。また,管轄違及び公訴棄却の裁判は既 判力を有さず,検察官は後日訴訟条件が整えば同一事件につき再び公訴を提起することができる。

三 実体的訴訟条件

実体的訴訟条件とは,これが欠けた場合には,およそ訴訟追行を許さない事由をいう。三三七条がこ れを規定するが,狭義の公訴権が存在しない場合のことであり,免訴の判決により訴訟手続を打ち切る ことになる。  
免訴事由は,三三七条所定のものに限定されず,少年が保護処分を受けたとき(少年法四六条参照)の ような場合にも類推適用されると解されているほか,憲法三七条一項の迅速な裁判の要請に反するよう な事態が生じた場合は,判決で免訴の言渡しをすべきであるとされている(最判昭四七・一二・二〇刑集 二六・一〇・六三一)。  
免訴の判決は既判力を有し,検察官は再び公訴を提起できなくなる。このようなことを説明するため, 免訴は実体関係的形式裁判であるとする説もあるが,前記のとおり形式的訴訟条件にも実体的判断の必 要なものもあるので,必ずしもそのようにいいきれるものではなく,結局,免訴判決の既判力は政策的 なものというほかない。  
免訴の裁判の性質を形式的裁判と解する場合,実体的訴訟条件が欠けているときには,たとえ犯罪事 実の不存在が認められても無罪判決をすべきではなく,免訴判決をすることになる(最判昭二三・五・二 六刑集二・六・五二九)。

訴訟条件と訴因

訴訟条件は訴因に関わるものが多いが,1甲事実については訴訟条件が欠けるが,乙事実に訴因を変 更すれば訴訟条件が備わる場合,2甲事実については訴訟条件が備わっているものの乙事実しか認定す ることができず,乙事実に訴因変更すれば訴訟条件が欠ける場合などにどのような扱いがされるかが問 題になる。  
1の場合,検察官が訴因変更を請求すれば裁判所はこれを許可して実体的裁判をすべきであり(最決昭 二九・九・八刑集八・九・一四七一),2の場合,審判の対象は訴因であり,訴訟条件の存否も訴因を基 準に決せられると考えるならば,甲事実に訴訟条件が備わっている限り,形式的裁判をすることは許さ れず,検察官が訴因変更をすれば形式的裁判を,しなければ無罪の実体的裁判をすべきであろう。但し, 乙事実が甲事実に訴因として包含されるような場合には,特に訴因変更を要さずして形式的裁判ができ る(最判昭三一・四・二一刑集一〇・四・五四〇,最判昭四八・三・一五刑集二七・二・一二八頁参照)。

【ゼロから始める法学ガチ解説シリーズ】量的過剰防衛とは?わかりやすく解説【刑法】

甲は,知人であるAから罵られたため,言い返したところ,Aは,甲にむかって手を振り上げた。次の場合における甲の刑事責任(特別法違反の点は除く。)を論ぜよ。
甲は,Aから暴行を受け,これに対応するためにAの顔面を手拳で殴打した。Aは甲から殴打されたことによって体勢を崩して転倒し,頭部を地面に強打した。Aはそのまま気を失い,甲もそれに気づいていたが,Aから突然殴られたことに憤りを覚え,怒りに任せてAの腹部を十数回蹴った。Aはその後死亡したが,死亡の原因は,頭部を地面に打ち付けたことによる外傷性くも膜下出血であった。

 

asuparapon.hatenablog.com

 

 ※ 本問は,量的過剰防衛の理解を問う問題である。今までの問題は,行為をまず特定し,それについての犯罪の成否を検討してきたが,この問題は,両方の行為の関係性について論じる必要がある。

⇒ しかし,最初に行為を分断することを明記して記載してしまうと,量的過剰防衛の理解を示しがたくなってしまうところに,さらに難しいポイントがある。

 

 1 前提知識

  過剰防衛には2種類があることを理解する。

   ⑴ 質的過剰防衛

    相手方の攻撃に対して,防衛行為そのものが,「やむを得ずした行為」(必要性相当性)を充たさない態様で反撃した場合(侵害行為はまだあるが,手段面で過剰な類型)

   ⑵ 量的過剰防衛

    侵害行為そのものは終了した(相手方の攻撃がやんだ)後も,なお攻撃をしてしまった場合

 

  過剰防衛の刑の任意的減免の根拠は,上述のように,心理的な焦り等から適切な行為を咄嗟にとりがたい場面においては通常の場合と比べて責任非難を強く加えることができないという点にある。

  侵害が終了した後の局面おいても,心理的な焦りから不必要に攻撃を加えてしまうことがあり得るから,そのような場合には,先行防衛行為と後行侵害行為の一体性を肯定して,量的過剰防衛として36条2項を適用し得る。

  しかし,以上のような趣旨からすれば,心理的な焦りとは異なった局面である場合,具体的には,相手の侵害行為が終了しているのを分かっているにもかかわらず,攻撃の意思を生じてさらに攻撃を加えた場合においては,一連の行為とみることはできないから,量的過剰防衛は成立しないと考えられる。

 

 判例…最決平成20年6月25日刑集62巻6号1859頁

  「第1暴行により転倒したXが,被告人に対し更なる侵害行為に出る可能性はなかったのであり,被告人は,そのことを認識した上で,専ら攻撃の意思に基づいて第2暴行に及んでいることは明らかである。そして両暴行は,時間的,場所的には連続しているものの,Xによる侵害の継続性及び被告人の防衛の意思の有無という点で,明らかに性質を異にし,被告人が前記発言(注:「おれを甘く見ているな。おれに勝てるつもりでいるのか。」などの発言)をした上で抵抗不能の状態にあるXに対して相当に激しい第2暴行に及んでいることにもかんがみると,その間には断絶があるというべきであって,急迫不正の侵害に対して反撃するうちに,その反撃が量的に過剰になったものとは認められない。そうすると,両暴行を全体的に考察して,1個の過剰防衛の成立を認めるのは相当でなく,正当防衛に当たる第1暴行については,罪に問うことはできないが,第2暴行については,正当防衛はもとより過剰防衛を論ずる余地もないのであって,これによりXに負わせた傷害につき,被告人は傷害罪の責任を負うというべきである。」

 

 2 両方の行為にまたがる場合の起案の仕方

  何を問われている問題であるか毎に書き方と分けると書きやすい。

  本問のような量的過剰防衛の問題については,まず,第1行為と第2行為をそれぞれ分けた場合について仮定的に罪の成立を書き,第2行為の違法性・責任阻却事由の検討の中において,第1行為と一体として捉えて量的過剰防衛の成立が認められないかを検討するのが望ましい。

 

 例 

  1 ⑴ 甲が顔面を手拳で殴打した行為(以下「第1行為」という。)単体で検討すると,人の身体に対する有形力の行使であって「暴行」(刑法208条)にあたり,それにより,Aは頭部を地面に打ち付けて外傷性くも膜下出血を生じているため,人の生理的機能に障害を加えているので,結果的加重犯としての「傷害」(刑法204条)にあたる。さらに,この傷害によって,Aは死亡しているので,甲の第1行為は,傷害の結果的加重犯として傷害致死罪(刑法205条)の構成要件に該当する。

    ⑵ もっとも,第1行為はAからの暴行という甲の身体への急迫不正の侵害に対応するため,「防衛の意思」に基づいて行われた行為である。また,第1行為は結果的にはAの死亡をもたらしているが,用いられた手段としては,単にAの顔面を殴るというものであり,これはAからの暴行に対する反撃として必要最小限度の行為であるといえるから,必要性相当性を満たし,「やむを得ずした行為」といえる。

したがって,同行為を単体で見た場合には正当防衛(刑法36条1項)が成立する。

  2 ⑴ 甲がAの腹部を十数回蹴った行為(以下「第2行為」という。)についても単体で検討すると,同行為は,第1行為と同様に,人の身体に対する有形力の行使であるので,「暴行」(刑法208条)であり,暴行罪の構成要件に該当する。

    ⑵ しかし,第1行為と異なり,この段階では,すでにAは頭部を地面に強打して気を失っているので,急迫不正の侵害は終了している。したがって,正当防衛状況にないので,正当防衛は成立しない。

    ⑶ しかし,第1行為と第2行為は時間的場所的に近接している行為であることから,第1行為と第2行為を一連の行為として捉えて,いわゆる量的過剰防衛として刑法36条2項により刑の任意的減免を受けることができないかが問題となる。

      過剰防衛の刑の任意的減免の根拠は,心理的な焦り等から適切な行為を咄嗟にとりがたい場面においては責任非難を強く加えることができないという点にある。

      そうすると,侵害終了後の局面おいても,心理的な焦りから必要以上に攻撃を加えてしまうことがあり得るから,そのような場合には,先行防衛行為と後行侵害行為の一体性を肯定して,量的過剰防衛として36条2項を適用し得る。

      しかし,以上のような過剰防衛の根拠からすれば,心理的な焦りとは異なった局面である場合,具体的には,相手の侵害行為が終了しているのを認識しているのに,攻撃の意思を生じてさらに攻撃を加えた場合においては,一連の行為とはみれないから,量的過剰防衛は成立しないと考える。判例も同様であると解される。

      本件では,甲はAが気を失ったことに気付いており,また,Aの行為に憤りを覚えて怒りに任せて第2行為を行っており,Aの侵害行為が終了しているのを認識し,かつ,専ら攻撃の意思に基づいて第2行為を行ったといえる。

      そうすると,第1行為と第2行為は一連の行為とは見ることができない。

      したがって,第2行為について量的過剰防衛の成立を認められず,単に暴行罪が成立する。

   3 結論

    以上より,甲の第1行為は傷害致死罪の構成要件に該当するが,正当防衛が成立するので罪とならず,第2行為は暴行罪が成立することから,甲は,第2行為にかかる暴行罪の刑事責任を負う。

【ゼロから始める法学ガチ解説シリーズ】共同正犯とは?事例問題で答案の書き方も併せて解説

 甲と乙は,かねてから恨みを抱いていたAに乱暴しようと相談して,言葉巧みに誘い出したAに対し,二人で一緒に殴るけるの暴行を加えた。暴行を加えているうちに,乙は,かねてからのAに対する恨みが高じて,暴行の結果Aが死ぬことがあるかもしれないがそれでも構わないという気持ちになっていた。一方,甲は,Aがぐったりとしてきたので,もう十分に恨みは晴らしたと考え,なおもAに暴行を加えている乙に,「おれはもう帰る。」とだけ言い残して,その場を立ち去った。その後も乙はAに殴るけるの暴行を加えていたが,Aは,次第に衰弱して,遂にその場で死亡してしまった。乙は,Aが死んだので,その場から逃走しようとしたが,たまたまAの着衣のポケットにAの財布が見えたので,これを自分のものにしようと考え,ポケットから抜き取って持ち去った。

甲及び乙の刑事責任について論ぜよ。

 

 

共犯関係での書き方

 

 基本的には,実行行為をすべて行った者から記載するのがよい。共謀者や本問の甲のように一部実行行為を行っていない者については,他者の行為を帰責できるかが問題となることが多く,前提として実行行為者の行為を認定しておいた方が楽であるし,また,理論的にも妥当である。

 したがって,以下では,全ての実行行為に関与していた乙から記載し,その乙の行為及び甲が自ら行った行為により,甲がどのような罪責を問われるかを検討する。

 

乙の刑事責任について

行為の抜き出し

  ① 甲と共謀の上,甲と共にAに殴る蹴るの暴行を加え,甲が帰宅したあともAに殴る蹴るの暴行を加え,Aを死亡させた行為

  ② Aの着衣のポケットから財布を抜き取った行為

①の行為について

 殺人罪(刑法199条)の成否を検討する。

 乙は,Aに対して甲とこもごも暴行を加え,Aがぐったりして甲が帰ったあとも,Aに暴行を加え,Aは次第に衰弱していき,死亡するに至ったものである。

 このような乙のAに対する苛烈な暴行は,人の生命侵奪の危険性の高い行為であったといえ,殺人罪の実行行為に該当する。

 また,乙は,暴行の結果Aが死ぬことがあるかもしれないがそれでもかまわないとしてこれら行為を行っており,自身の行為がAの死をもたらし得る行為であることを認識し,Aの死の結果が生じることを認容しているのであるから,殺意も認められる。

 以上から,乙の①行為については殺人罪が成立する。

 なお,後述のとおり,甲については共犯関係からの離脱は認められず,乙の行った行為も含めて帰責されるが,甲に殺意はないのであるから,同行為につき,甲との間では傷害致死罪の限度で共同正犯(60条,205条)となる。

②の行為について

 乙はAの死亡後に財物奪取の意思を生じ,Aが所有及び占有していた財布につき,その占有取得を開始している。

 そこで,同行為につき,占有離脱物横領罪(254条)が成立するにすぎないのか,それとも窃盗罪(235条)が成立するかが問題となる。

 この点,死亡結果を発生させた行為者との間では,時間的場所的接着性が認められる限度では,その死者の生前の占有はなお継続して保護に値すると考えられる(最判昭和41年4月8日刑集20巻4号207頁)。

 本件で,乙はAを殺した直後に財布について領得意思を生じているのであるから,Aの生前の占有は,その財物奪取時においても保護されていたといえる。

 したがって,乙の②行為は,財布に対するAの生前の占有を侵奪したものといえ,「他人の財物を窃取した」といえるので,窃盗罪に該当する。 

罪数

 以上より,乙は,①の行為につき,殺人罪(前記のとおり傷害致死罪の範囲で共同正犯)と,②の行為につき,窃盗罪の刑事責任を負い,①と②の関係は併合罪(45条前段)となる。

 

甲の刑事責任について

 

問題の所在

甲は,乙と共にAに対して暴行を加えることを企て,実際に加えていたのであるから,その間の行為については,共同して暴行したといえ,少なくとも暴行罪ないし傷害罪の共同正犯(60条,208条ないし204条)が成立することに問題はない。そして,その後,Aは死亡するに至っているが,Aが死亡した段階においては,甲はすでに現場から立ち去っていたので,Aが死亡した原因が甲が現場にいた際に行われた両名による共同暴行を理由とするものか,甲が現場から離れたあとの乙のみによる暴行を理由とするものか明らかでない(問題文をみる限り,乙のみによる暴行により,Aが死亡したと解釈して問題ないとは思われる。)。

したがって,甲にAの死亡の結果を,傷害致死罪(205条)として問うことができるかの検討として,すでに両名の共犯関係が解消されたとすれば,甲にA死亡の責任を問い得ない場合があるので,甲が「おれはもう帰る。」と言ったことにより,共犯からの離脱が認められるかを検討することとなる。

 

因果的共犯論

 共犯を論じる上では,因果的共犯論を理解しておくことが肝要である。

 多くの共犯問題が因果的共犯論をベースとして説明でき,近時の判例も,共犯関係からの離脱や承継的共同正犯などにおいて因果的共犯論をベースとしているとみられる判断をしている。

 

 因果的共犯論とは,実行行為を行っていない者がなぜ責任を負い,処罰されるのか(共犯の処罰根拠論)にき,他者を介して結果に対する因果性を自らの行為により創出したからであるとするものである。

 

 この因果的共犯論をベースとして,各論点につき,以下の通りの説明ができる。

 まず,共同正犯か狭義の共犯かについては,正犯性の有無により決されるところであるが,正犯性が認められるかは自らが行った役割の重要性,言い換えれば自らが作出した結果への因果的寄与の重要性が問題となる。

 次に,承継的共同正犯については,因果的共犯論からすれば,結果に因果を及ぼし得ない犯罪の成立部分については,その責任を負わないこととなる(最決平成24年11月6日刑集66巻11号1281頁を参考にしてほしい。)。

 また,共犯関係からの離脱についても,次に述べるように因果的共犯論による判断基準の解決を図ることが可能である。

 

共犯関係からの離脱についての論証

 甲が帰ると述べた時点で,共犯関係からの離脱が認められるかが問題となる。

 共犯者が他人の行為によって発生した結果について帰責される処罰根拠は,他者を介したり意思を通じ合うことにより自ら結果に対する因果性を作出した点にある(因果的共犯論)と考えられるところ,一度成立した共犯関係からの離脱が認められるためには,自らが作出した因果性を消失させる必要があると考える。

 本件において,甲は乙との間でAをこもごも暴行を行うことを企て,それに従って実行に着手していたところ,両者の間でAに対して暴行を加えることにつき,心理的に補強し合っていた。また,Aがぐったりしてきたのは,甲も関与していた共同暴行によるものであって,犯行継続が可能な状態がなお続いている状況を作り上げていた,すなわち,このような状況を作り上げることにつき,物理的に因果性を及ぼしていたといえる。

 このような状況において,甲が因果性を消失させるためには,乙に対し,これ以上の暴行をやめるように説得を行い心理的な影響力を遮断したり,Aを助け出して暴行が物理的に不可能な状態にするなどの措置を講ずる必要があった。それにもかかわらず,甲は単に帰ると述べただけであり,甲の作出した因果性はその後も十分に残存していたといえる。

 また,乙は前述のとおり引き続き暴行を加えていた,すなわち,新たな意思に基づき暴行を加えていたわけではない。

以上からすると,甲は共犯関係から離脱したものではないので,甲が帰宅した後の乙によるAに対する暴行も,甲はその責任を負う。

 

何罪の範囲で共犯関係が成立するか-部分的犯罪共同説

 ※ 本件では些末な話であるので,端的に書くこと(論じなくてもいいレベル)。

 もっとも,甲は乙とは異なり,Aに対して死んでも構わないという意思はなく,殺意は認められないので,傷害致死罪の限度で犯罪が成立する。

 このように,共犯関係にある者の中で罪名が異なる犯罪を行った場合に,どのように処理するかが問題となるも,乙の達成した殺人罪と甲の達成した傷害致死罪は構成要件は異にするものの,単に殺意の有無が異なるだけであり,行為態様や保護法益において共通性を有するから,軽い傷害致死罪の限度で犯罪を共同したとして,共同正犯性を肯定することができる(部分的犯罪共同説)。

 したがって,甲は,傷害致死罪の共同正犯(60条,205条)の刑事責任を負う。

釈明権についてわかりやすく解説

一 釈明権の意義


 釈明権とは,訴訟関係を明瞭にするため,事実上及び法律上の事項に関し,当事者に問いを発し,ま たは立証を促す裁判所の権能である(一二七条一項)。  なお,釈明とは当事者がなすものであって,裁判所がするのは釈明を求めること(求釈明)であるので, 用語に注意すべきである。  民事訴訟においては,弁論主義が採用されており,申立,主張,立証全てを通じて当事者が裁判に必 要な資料を提出することになっている。ところで,当事者の申立,主張が曖昧で意味が不明であったり 矛盾していたりする場合や,当事者と裁判所の法律上の意見が食い違うなどの理由で裁判所からすれば 当事者の主張,立証が不十分な場合などが存するが,このような場合に,これも当事者の責任であると してそのまま判決をし,本来勝訴すべき当事者を敗訴させるようなことがあれば,国民には裁判所がい かにも不親切に見え不信感も生じかねない。そこで,このような場合,裁判所が後見的に当事者の申立, 主張,立証の不十分さを補うものとして認められてきたのが釈明権である。


二 釈明権の行使

 釈明権は合議体で裁判をしている場合には,裁判長が代表して行使し(一二七条一項),陪席裁判官は 必要があれば裁判長に告げたうえで行使できる(一二七条二項)。また,裁判長は釈明権を実効あらしむ るため準備命令を発することができる(一二八条)。当事者は,直接相手方当事者に釈明を求めることは できないが,裁判長に相手方当事者に対して必要な発問をするよう求めることができる(求問権,一二七 条三項)。  なお,当事者は求釈明に応じる義務はないが,主張責任,証明責任をそのまま適用された判決等の不 利益を受けることになる(攻撃防禦方法につき一三九条二項)。

三 釈明権の限度

 釈明権は,先にみたように,裁判所が後見的に弁論主義を補完するものであるが,逆にその行使が行 き過ぎると求釈明を受けた当事者の相手方当事者からは一方当事者に偏った不公平な裁判所であると思 われその信頼を失うことにもなる。  そこで,釈明権の限度が問題になるのである。
これは,弁論主義の下で裁判所がどこまでその後見的 役割を果たすべきかという非常に難しい問題であり,各人の民事訴訟観によって大きく影響されるとこ ろがあるうえ,当事者の力量(代理人を付けた訴訟か,本人訴訟か),事件の種類,訴訟のどの段階か,求 釈明事項が当該訴訟において占める重要性等様々なファクターによっても左右されるので,釈明権の限 度については明確な基準を立てるのは困難である。  
いわゆる消極的釈明(当事者の申立,主張に不明瞭な点や前後で矛盾する点が存する場合にこれを問い正す釈明)が許され,むしろこれが要請されることが多い(釈明義務については後述)ことには特に問題が ない。
問題になるのはいわゆる積極的釈明(当事者が,事案に適した申立,主張,立証をしていない場合 にこれを促す釈明)である。結局,その限度は前記のファクターを総合考慮して決するほかないが,一つ の例として,判例(最判昭四五・六・一一民集二四・六・五一六)を引用しておく。  「釈明の制度は,弁論主義の形式的な適用による不合理を修正し,訴訟関係を明らかにし,できるだ け事案の真相をきわめることによって,当事者間の紛争の真の解決をはかることを目的として設けられ たものであるから,原告の申立に対応する請求原因として主張された事実関係とこれに基づく法律構成 が,それ自体正当ではあるが,証拠資料によって認定される事実関係との間に喰い違いがあって,その 請求を認容することができないと判断される場合においても,その訴訟の経過やすでに明らかになった 訴訟資料,証拠資料からみて,別個の法律構成に基づく事実関係が主張されるならば,原告の請求を認 容することができ,当事者間における紛争の根本的な解決が期待できるにかかわらず,原告においてそ のような主張をせず,かつ,そのような主張をしないことが明らかに原告の誤解または不注意と認めら れるようなときは,その釈明の内容が別個の請求原因にわたる結果となる場合でも,事実審裁判所とし ては,その権能として,原告に対しその主張の趣旨とするところを釈明することが許されるものと解す べきであり,場合によっては,発問の形式によって具体的な法律構成を示唆してその真意を確かめるこ とが適当である場合も存するのである。」

四 釈明義務

 釈明権を単に裁判所の権能とみるにとどまらず,義務となる場合が存するとすれば,この釈明義務違 反(釈明権の不行使)は判決の違法性をもたらし上訴(特に上告)の理由となる。  
判例は,戦前の大審院は釈明義務を広く認めその違反による破棄も多かったが,戦後になると最高裁 は釈明義務違反を認めることがほとんどなくなった(最判昭二七・一一・二七民集六・一〇・一〇六二)。 ところが,昭和 40 年ころから再び釈明義務違反を認め破棄することが増加している(最判昭三九・六・ 二六民集一八・五・九五四)。  
釈明義務の範囲をどこまで認めるかは,釈明権の限度と同様,各人の民事訴訟観によるところが大き い。一般的にいえば,消極的釈明権不行使の場合は,比較的,義務違反を認めやすいが,積極的釈明権 の不行使の場合は,現に顕出されている全ての資料からみて原判決の判断が事案の真相に合致せず釈明 権を行使していれば判決主文に重大な相違が存したであろうときにのみ,釈明義務違反が認められ,そ の他のときには釈明権不行使の当不当の問題にとどまるというべきである。