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外国人の基本的人権とは?わかりやすく解説

はじめに

本問は,基本的人権の享有主体というタイトルのもとに必ず論じられる論点である。
論じるべきポイントは,そもそも外国人は日本国憲法の保障する基本的人権を享有するのか,享有するとしてその範囲, 程度についてはどのように考えるべきかなどである。
人権の種類によって,その保障の程度も異なると考える以上は,問題となる人権ごとに個別に論じていくことが必要である。その際に,自由権とはどのような権利か,社会権とはどういう性質のものかというような基本的な理解が試されることになろう。
余裕があれば,主体である外国人の違いによって保障される範囲,程度に違いはないのか,すなわち長年日本に在住している外国人と単に一時的に滞在している外国人,あるいは不法入国者と別に解する余地はないのかという観点を示しておくとよいであろう。


外国人の人権享有主体性

人権享有否定説
そもそも外国人は人権を享有しないという考え方である。憲法第三章の標題が「国民の権利及び義務」 となっていることなどを根拠とする。しかし,日本国憲法の国際協調主義的な特色(前文など),日本国憲法の保障する人権の多くは個人としての人間に与えられている(一三条前段)前国家的なものであり,国籍の有無によって左右されるべきものではないと考えられることなどからこの見解は採りえないであろう。
2 人権享有肯定説
これが通説,判例である。理由は前記のとおりである。なお,人として当然有する人権は,不法入国の外国人も有することについて,最判昭和 25・12・28 民集四・一二・六八三。 なお,この説もすべての人権について無条件に保障が及ぶと考えているわけではなく,保障の及ぶ人権の種類,程度は別に論じる必要がある。


保障の及ぶ範囲・程度-総論

外国人も基本的人権を享有しうるとして,次にどのような権利の保障が及ぶかが問題となる。
1 文言説
この説は,外国人が享有できる人権と享有できない人権の区別の基準を形式的な憲法の条文の文言に求める考え方である。
自由権に関しては主として「何人も」という文言を用い,あるいは主体を明らかにしていない形式の条文となっているのに対し,社会権については「すべて国民は」という形式の条文になっているので,この説も根拠のない説ではない。
しかし,この説の問題点は,国籍離脱の自由という明らかに日本国籍を有する者が主体となるはずの人権について「何人も」という文言が使われていることである(二二条二項)。また,憲法制定者が外国人にも保障されるかどうかを考えて,「何人も」か「国民は」を使い分けたとは考えられないという指摘もある。結局この説は採用できない。
2 性質説
外国人が享有できる人権と享有できない人権との区別の基準を権利の性質によって区別しようという考え方である。
たとえば,精神的自由権などは,前国家的な性質を有し,国民の権利というよりも人間としての権利であり,外国人に対しても保障が及ぶが,選挙権,被選挙権などは国家意思の形成に関わる権利であるから,日本国民のみが保障の対象になる性質の権利であり,外国人には及ばないというように考えるのである。
判例も,この考え方を採っているものと解される。例えば,いわゆるマクリーン事件判決では「基本的人権の保障は,権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるものを除き,わが国に在留する外国人に対しても等しく及ぶ」としている(最大判昭和 53・10・4 民集三二・七・一二三)。


保障の及ぶ範囲・程度-各論

性質説に立つとして,享有しうる人権の種類・程度を具体的に検討しておく必要がある。
1 範囲
一般に享有しうる人権としては前述の自由権をはじめ,裁判を受ける権利(三二条),人身の自由(一八条)などが挙げられる。ただし,入国の自由についてはかつて問題になったこともあり,注意を要する。
外国人の人権という場合には,日本に既に入国している者についての問題であり,憲法上外国人に入国の自由を保障しているとは考えられない。現在の国際慣習上も外国人の入国の許否は国の裁量によって決定されるものと考えられている。
さらに一歩進めて再入国の自由についてはどうか。再入国については憲法上の保障されているという説もあるが,一律にこのようにいえるかは疑問であって,むしろ基本的には入国の自由と同一に考えられるべきものであろう。
ただし再入国は,全くの新規入国の場合と事情を異にする面があることにかんがみ,外国人の種類を分けて,日本国内に生活の本拠のある外国人の場合は,再入国は日本人の場合の帰国に準じて考えられることから,憲法上の保障が及ぶと解することも十分説得力のある考え方であると思われる。
これに対して一時的な居留外国人が一旦帰国した後に再入国しようとする場合には,新規入国の場合と特に別異に解する必要はないであろう。
他方,外国人に保障されないとされるのが参政権社会権である。前述のように参政権は国の政治に参加する権利として国民固有の権利であると考えられる。社会権は外国人であることだけでそもそも原理的に保障されないものというわけではないが,福祉国家実現のために国家の果たすべき原則としての意味合いが強く,したがって各国が政策として,まず自国民の社会権の充実に努力することは合理的で あり,外国人をある社会保障制度の対象外とすることも憲法上許されるというに留まる。
2 程度
性質上認められないとされるものを除いては外国人にも人権の保障が及ぶわけであるが,その程度については,日本人と全く同様というわけではなく,合理的理由があれば日本人と区別して扱うことは認められる。
3 政治活動の自由
外国人に政治活動の自由がどの程度保障されるかについては参政権と関連させて考えておくとよい。 前述したように選挙権,被選挙権という国家意思の形成に直接関わる権利は外国人には保障されない。
政治活動の自由は精神的自由権(二一条一項,表現の自由)としての側面を有し,この意味では外国人に対しても手厚い保護が認められてしかるべきであろう(たとえば,外国人の利害に直接関連する法案に対する賛否の意思を表すための行動などを想定されたい)。しかし,政治活動は同時に国家意思の形成に資する参政権的機能を有する。
したがって,政治活動の自由が外国人にどこまで及ぶのかは一律に決することはできず,政治活動の目的が適当なものか(先の例のように,自己の権利を守る目的であれば妥当なものと考えられようが,国家意思の形成を混乱させようという目的であれば不当なものと言えよう),その方法が目的に照らして相当なものかなどの諸点を勘案して保障が及ぶ活動かどうか具体的に判断していくべきであろう。
この点について,最高裁判所は「政治活動の自由についても,わが国の政治的意思決定又はその実施に影響を及ぼす活動等外国人の地位にかんがみこれを認めることが相当でないと解さ れるものを除き,その保障が及ぶ」とし(前記いわゆる「マクリーン事件」判決),文言上は政治的意思決定に影響を及ぼすような活動はすベて認められないかのような表現をしているが,かならずしも目的, 方法が相当なものまで保障が及ばないという趣旨ではないであろう。

 

 

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