司法試験の勉強会

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基本的人権の保障にとは?わかりやすく解説

1 憲法における基本的人権の保障は,国民の基本権が公権力によって不当に制約されてはならないとい うことから,認められてきたものであり,本来は,公権力と国民の間を規律するものであった。

これは, 自由主義的思想と市民経済の要求から近代憲法が誕生したことともかかわりのあることであるが,経済生活が発展するとともに国家の在り方が社会的,福祉的国家観となるに従って,憲法上国家が積極的に 国民に保障しなくてはならない基本権である社会権が実定化されるに至り,私人間の合意についても基本権の保障の要請があてはまるようになってきた。或いはまた,経済の発展と共に,巨大な経済組織な ども形成され,このような組織と私人との関係が,いわば公権力と私人との関係と類似するような事態 も現われるようになった。


2 判例のうえで現われたものとしては,政治活動の禁止の約束のもとで私立学校に雇傭された教師が, 特定の思想的書物を生徒に購入するように奨めたことで解雇されたため,右政治活動の禁止の約定は憲法に反し私法上も無効であるとして争われたもの(最判昭和 27 年2月 22 日)。或いは,政治的思想及び信条に関する理由で企業が採用を拒否したことを憲法に違反し,労働基準法三条にも反するものとして争われたもの(最判昭和 48 年 12 月 12 日)がある。

そしてこれらの事案を通じて,判例基本的人権も私法関係上の義務によって制約を受けるものであ ることを明らかにし(前掲昭和 27 年の判例),さらに,基本的人権の規定は私人相互の関係を直接規律するものではなく,人権侵害が社会的に許容しうる限度を超えるときには,立法措置により是正を求め, 民法一条,九〇条,不法行為の規定を適用することで適切な調整を図る方法が存する(前掲昭和 48 年の判例)としている。

確かに,右の判例の事案は精神的自由権についてのものであるし,憲法基本的人権を国家が制限すべきでないとする近代自由主義の理念をとっているのだから,私人間の関係も当事者間の合意に委ねる私的自治の原則も当然に妥当するものといわなければならない。

そして,そのため公権力と国民との関 係を規律する公法の体系と,私的自治の原則が普遍的な私法の体系は,厳格に峻別されるべきで,いか に社会生活が複雑化し,公法と私法とが相対化してきても,その限界は画されて然るべきなのである。 とくに,私人間に公法の原理をもち込むことは,私権に対する制約をむしろ増大させる危険すらあるの である。


3 しかしながら,憲法は国法体系の中で最高のものであり,法秩序の価値基準を示しているのであるから,私人間において憲法上の価値を否定してしまうことは,正義の観点からも好ましくないものといわ なければならない。

そこで,私的自治の原則を尊重しつつ憲法の指導原理を生かす解釈として,通説は 間接適用説の立場をとっている。

この立場は,私人間に憲法上の規定が直接適用されることは否定しながらも,私法関係に不当な人権 侵害が存するときは,その私法関係は民法九〇条により無効になるとする考え方である。

つまり,民法九〇条にいう「公の秩序」の概念に憲法上の価値基準が包摂されることになるのである。

さらに,この法理は民法九〇条のみならず,私法関係を規律する法文のあらゆる一般条項に妥当し,民法九〇条のように法律行為に限ることなく,事実行為についても憲法の理念が反映されるというのである。前掲昭和 48年の判例はこの趣旨を明らかにしているのであるし,下級審の判決のなかにはこの立場を明示したも のが少なくなく,ドイツにおいても多数のとる考え方である。


4 間接適用説の考え方は確かに原則的に正しいものであろうが,さらに憲法上の権利,自由を個別に検討し,そのうちのある種の権利については,憲法が直接私人間に効力を有するとする,限定的な直接適用説の立場がある。

まず,憲法上定められた社会権については直接効力を認めるべきとする見解がある。

この立場は,憲法二五条二八条の社会権は,国家の積極的な関与が要請される特殊性を有するのであるから, 格別の立法がなされるまでもなく,当然に直接の効力を有するというのである。

精神的自由権と異なり, 社会権とりわけ労働関係の権利については,資本主義の高度化に伴い必ずしも私的自治の原理が妥当するものでない法領域であることよりすれば,正当な指摘を含むものといわなければなるまい。

次に,伝統的自由権についても,憲法一八条,一九条,二〇条といった規定は,国民相互の間におい ても,国家との関係と同様に尊重されるべきことが憲法の指導原理であるとする説や,憲法の規定には,基本権を保障した規定と結びついた客観的法規範が存在し,この客観的法規範は制度的保 障や原則規範からなるのであるが,これらが憲法一八条のごとく具体的で確定的に把握される場合には 個々の法律行為を無効としうるものであるとする説などがある。

しかし,すでにのべたように法秩序における公法と私法の二元性は否定しえないもので,これらの説のように限定を付してみても私法の独自性を克服しうるものとはいい切れないように思われる。

アメリカの判例に現われた事案(Shelley v. s. Kraemer)では,有色人種に対する不動産譲渡を制約する約款の履行を求めた訴えを認容した州最高裁の判断に対し,連邦最高裁が私的約款については憲法違反の問題は生じえないが,州裁判所が人種差別的約定の司法的執行を行うのは,憲法に違反すると 判断したものがしばしば引用されている。

これをよりどころにして,わが国の学説の中にも,人権侵害 を認容した判決に対しては,裁判自体の違憲を争うことができるとする考え方がある。

しかし,これで は裁判事件となるかぎり,およそ憲法の規制を受けることになり,私的行為への公権力の介入が増大す る危険性も大きくなる。

さらに,私企業の巨大化に裏打ちされて,私的団体が国家から財政的援助を受けたり,国有財産を賃 借したり,特権や権限を付与されたりしていることで,何らかの国家の支配が及んでいる場合,あるい は,国家の統治機能を代替するような場合には,憲法が直接適用されるとする,アメリカの判例理論が ある。しかし,ほとんどの企業が行政庁の指導・監督に,何らかの形で服している現在,右判例理論も, その意味から検討すべき余地があるように思われる。

 

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