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明白かつ現在(現実)の危険の原則と表現の自由(憲法21条)の保証内容を徹底解説

明白かつ現在(現実)の危険の原則とは,政府が人を表現行為の故に処罰することができるのは,政府が憲法上防止することのできる実体的害悪がもたらされる明白にしてさし迫った危険の存する場合に限られるという原則をいう。この原則は,学説上,表現の自由の規制に対する合憲性の判定基準の一つとしてとらえられており,判例上も,この原則の考え方を採用したとみられるものがある。具体的には, 公安条例の合憲性にかかわる判決などに表れている。

表現の自由(憲法二一条)の保障の内容とその意義

表現の自由

人の内心における精神作用を外部に表明する精神活動の自由をいう。その表明 の方法は問わないし,表明する内容も意見・思想に限らず,事実の伝達なども含まれる。また,憲法二 一条は,一項で集会・結社の自由も保障しているが,言論・出版の自由との歴史的な沿革の違い,あるいは,集会・結社が集団的行為であることなどからすると,集会・結社については,性質上も,法技術 的にも,言論・出版などの表現行為とは異なった考慮が必要であることは否定できない。
しかし,人が 集合もしくは結合することそれ自体が人の精神活動の一つの形態であるし,集会・結社の自由は,人が ある共通の目的を達成するために一つの所に集まり,あるいは組織化するなどして,その目的達成のために集団としての意思を形成し,それを外部に表明する自由を含むと考えられるから,広義の意味では, 集会・結社の自由も表現の自由に含まれると解するべきである。

表現の自由の保障の意義

第一に表現の自由の保障は,個人の自己実現にとって必要・不可欠である。精神的・知的な存在で ある人間が,自ら言いたいことを言うのは本性であるし,精神活動の所産を外部に表明したり,これを外部から受け取ったりすることで人格的な発展を実現するのである。
そして,この考えは,自由な討論 と自由な意見の交換の中にこそ真理の発見と普及が可能であるとする社会効用的な「思想の自由市場」 論によって補強され今日に引き継がれている(このような表現の自由の社会的効用については,これを 表現の自由の独自の価値,機能としてとらえる見解も有力であるが,ここでは,個人の自己実現を支える信条ないし仮説としてとらえる考え方に依拠して論を進めていくこととする)。

第二に表現の自由は,民主政治の基本であって,国民の自己統治にとって必要なものである。すなわち,国民主権原理にたつ政治的民主主義にとっては,主権者である国民が,自由に意見を表明しあい討論することによって政策決定に参加することが,その本質的要素であることはいうまでもない。
このように,表現の自由は,民主主義にとって不可欠な,自由な討論を保障するものとして重要である。そ して,民主主義の下での政治権力は,国民の意思に基づいて構成され運用されるという前提のもとに正 当な権力として成立しうるものだから,政治権力の側にとってみれば,国民の間に自由な討論が保障さ れることは,自らの正当化の源泉としての意味を持つことになるのである。

優越的地位

このような個人の自己実現と国民の自己統治にとって,表現の自由が不可欠であるということから,表現の自由の「優越的地位」が導かれる。すなわち,表現の自由は人間の精神的活動の自由の実際 的・象徴的基盤であるとともに,人身の自由や私生活の自由等の保障度を国民が絶えず監視し,自由の体系を維持する最も基本的な条件であって,その意味で,ほとんどすべての他の形式の自由の母体であり,不可欠の条件であると考えられている。このことから,表現の自由は,経済的自由に比べて憲法の価値秩序の上で高位に位置するのである。

表現の自由に対する規制の合憲性判定基準

1 憲法における表現の自由の保障は無制約的である。しかし,表現の自由は公表などの外的行為にかかわるため,他人または他の社会の利益との衝突が生じる。このことから,表現の自由も一定の内在的な制約を受ける場合があることは否定できない。
なお,その制約の憲法上の根拠については,憲法一三条の「公共の福祉」ということになるが,それは,あくまでも制約の根拠たるにとどまるのであって,個々の制約については,表現の自由を保障する特定の趣旨に対応する個別的・実質的な制約の正当化事由,すなわち,表現の自由の内在的制約事由の存在が要請されるのである。

2 このように,表現の自由も制約の可能性が認められるが,この制約の合憲性判定のあり方に関しては,いわゆる「二重の基準」論が主張されている。
まず第一に,表現の自由に対する制約は,合憲性の推定原則が排除され,むしろ違憲性の推定原則が妥当する。
したがって,第二に,経済的自由の規制立法の合憲性判定基準として用いられる「合理性の 基準」,すなわち,制限の対象となっている行為と害悪発生との間に合理的な関連性が認められれば足りるという合意性判定基準は,ここでは妥当せず,より厳格な審査基準によって判定すべきであると主張される。
この「二重の基準」の考え方は,表現の自由の「優越的地位」から導かれるものであって, 多くの学説によって承認されている。また,経済的自由の制限にかかわる事例ではあるが,判例にも, この「二重の基準」の考え方を承認したものとみられるものがある(最判昭四七・一一・二二刑集二六・ 九・五八六,最判昭五〇・四・三〇民集二九・四・五七二)。
もっとも,「二重の基準」の考え方の枠組みは重要であるが,表現の自由の中でも画一的な合憲性判 定基準に服せしめるのは妥当でなく,むしろ,表現の類型に応じたきめこまやかなアプローチが必要であるとして,この考え方の問題点を指摘する学説も存在する。

明白かつ現在(現実)の危険の原則とは

1 明白かつ現在(現実)の危険の原則は,このような厳格な審査基準の一つと考えられているが,当初,この原則が生みだされたアメリカ合衆国判例では,法令の合憲性判定基準としてではなく,法令の合憲性を前提にして,当該個別具体的な表現行為に適用して処罰することの適否を判定する基準として用いられた。しかし,後には法令それ自体の合憲性判定基準として用いられるようになったのである。
日本においても,基準がたくみにできているなどの理由から,学説上も広い支持を得ている。 この原則は,制限の対象となっている行為と害悪発生との関連性(因果関係)の程度について,単なる合理性以上の「明白性」「現在性」を要求するものである。そして,「明白性」は,制限の対象となっ ている表現行為と害悪発生との間に明らかに因果関係の認められることを意味する。
言い換えるならば,その表現行為が,必ず害悪を生ぜしめるか少なくともほとんど不可避的に害悪を生ぜしめることが示されなければならず,単にその可能性が大きいというだけでは足りないということである。また,「現在性」は時間的近接性(害悪発生の危険のさし迫っていること)を要求するものである。

2 ただ,このような「明白性」「現在性」については,特定の具体的な表現行為について,そのおかれた具体的状況を考慮に入れるときに,もっともよく判断できると考えられることから,元来法律そのものの合憲性の判定基準としては不向きであるという批判を受けていたが,他方では,当該法令が制限の対象として掲げる範ちゅうないし類型に属する表現行為と,害悪発生との間の一般的な因果関係の判断にあたって,「明白性」「現在性」の趣旨を生かすことは十分可能であるという見解もある。
この見解は,ある法令における表現の自由の制限が,その目的において合憲とされるためには,第一に,当該法令が制限の対象として掲げる類型ないし範ちゅうに属する表現行為が,通常一般的な状況のもとでは,必ず,もしくは,少なくともほとんど不可避的に害悪を生ぜしめることが,十分な科学的根 拠に基づいて示されなければならない(「明白性」の要件)とする。
そして,第二に,類型的・範ちゅ う的に必ず害悪をもたらすとはいえない表現行為も,現実に害悪を生ぜしめ,または,その具体的危険を有する場合には,そのような表現行為を規制しうるのであり,そのような表現行為に,法が規制を加 える場合には,制限の対象を,現実に害悪を生ぜしめた行為もしくは少なくともその具体的危険を有する行為に限定しなければならない(「現在性」の要件)とする。

3 明白かつ現在(現実)の危険の原則が,合憲性判定基準として有効であるとしても,以下のよう な問題点がある。
すなわち,第一に,この原則のいうところの実質的害悪が,一定の社会的利益を阻害 するものを一般的に含むものとしてとらえられていることである。これについては,実質的害悪の中身 を,表現の自由の内在的制約の目的である他人の生命・健康への侵害の防止,他人の人間としての尊厳を傷つける行為等の防止,他人の人権と衝突する場合の相互調整等の観点からのものに限定すべきであるとする見解もある。
第二に,害悪発生の危険性の判断に際しては主観性を排除できないということであるが,この点は,危険の明白性の程度にかかわる。明白性が十分な科学的根拠に基づいて検証される場合は,危険性を理由として規制することが許されるが,そうでなければ,現実の害悪発生があってはじめて規制しうるとする考え方もある。
第三に,この原則が適用されない場面を明確にしておかなければならないということである。

おまけ

わが国で,判例上明白かつ現在(現実)の危険の原則の考え方が示されたものとしては,新潟県公安 条例についての最高裁判決がある(最判昭二九・一一・二四刑集八・一一・一八六六)。この判決は,表 現行為に対する事前規制についての合憲性の判断を下した一例と考えられており,その中で,許可基準 の一つの要素としてこの原則を取り入れた表現をしている。
しかし,学説の中には,この原則を事後処 罰の合憲性判定基準と考え,それにもかかわらずこの判決が事前規制の合憲性判定基準として用いてい るのは疑問であるとするものがある。