司法試験の勉強会

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信教の自由について判例とともに解説

一 はじめに

(1) 「信教の自由」は二〇条一項前段で保障されており,その中には,信仰の自由,宗教的行為の自由,宗教的結社の自由が含まれる。
信仰の自由とは,宗教を信仰するかどうかについて任意に決定する自由であり,個人の内心における自由である。
宗教的行為の自由とは,信仰に関して礼拝や祈を行うなど,宗教上の祝典,儀式,行事等を任意に行う自由である。宗教的行為への参加を強制されない自由も含まれており,二〇条二項はこの点を注意的に規定したものである。
宗教的結社の自由は特定の宗教を宣伝し,または共同で宗教的行為を行うことを目的とする団体を結成する自由である。

(2) 信教の自由は,それが内心の自由にとどまる限り,その保障は絶対的であるが,それが,外部的行為となって現れる場合には,他の精神的自由と同様内在的制約に服することになる。 信教の自由を規制する法令の合憲性判定は,経済的自由の場合に比べて,厳格な基準によって審査されなければならない(二重の基準論)。
二重の基準論の詳しい内容についてはここでは省略するが,その論拠は,精神的自由の優越的地位(民主主義の維持・運営に精神的自由が不可欠であるという点で精 神的自由が経済的自由に優越するということ)等に求めることができる。

二 政教分難の原則について

(1) 二〇条一項後段,同条三項は,国から特権を受ける宗教を禁止し,国家の宗教的中立性を明示し, 政教分離の原則を定めている。
政教分離の原則の趣旨は,国家がある宗教を特に優遇することはそれ以外の宗教の自由を抑える結果になるとともに,国家が全ての宗教を等しく優遇することも国家がそれによって無宗教の自由を抑える結果になる点で,宗教の自由に反すると考えられることから,国家と宗教を分離することによって信教の自由の保障を完全にしようとする点にある。
政教分離の原則の法的性格については,「制度的保障」と解するのが判例であるが,これには有力な反対説もある。
制度的保障とは,議会がその制度を創設維持すべき義務を課されその制度の本質的内容を侵害することが禁止されるというものであり,その目的は,本来的にはその制度の保障を通じて人権を保障することにある。
制度的保障と解するかどうかは,憲法訴訟の当事者適格等で問題になるが,後述する政教分離の程度に対しては論理的には影響しないはずである。
ただ,実際上,制度的保障と考える説の方が国家と宗教のゆるやかな分離を認める傾向にあるように思える。
(2) 政教分離の原則は,基本的には,国家と宗教を完全に分離しようとするものであるが,現代国家は,福祉国家として,宗教同体に対しても他の団体と同様に,社会給付を行わなければならないため, 国家が宗教と一定限度のかかわり合いを持つことは許容されると考えるべきである。
問題は,このかかわり合いをどの程度認めるかという点である。 この点については,1憲法が要請する政教分離は厳格な分離か緩やかな分離か,2政教分離原則に反するかどうかをいかなる基準で判断するか,に分けて考えることができる。
1ついては,現憲法の規定が設けられた背景,即ち,旧憲法下においては,神社神道は宗教ではないという前提で神道が事実上国教的待遇を受け,その結果,国家と神道との結びつきによる種々の弊害が生じ,信教の自由の保障が不完全であったという経験にかんがみ,現憲法二〇条,八九条等が規定され たことに照らすと,憲法は厳格な分離を要請しているものと解すべきであろう(ただし,判例は必ずし も厳格な分離を要求していると解していないように思える)。
2については,基本的には,問題となる国家行為の目的及びその行為から生ずる効果に照らし,そのかかわり合いが社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものと認められる場合に政教分離の原則に反するとする判例(最大判昭五二・七・一三津地鎮祭事件等)の立場が妥当であろう(目的効果基準)。
この基準は,元々アメリカの判例で形成されてきたもので,(1)当該国家行為が,世俗的目的を持つものであるかどうか,(2)その行為の主要な効果が宗教を振興しまたは抑圧するものかどうか,(3) その行為が宗教との過度のかかわり合いを促すものかどうか,という三つの要件のうち一つでも該当すれば政教分離違反になるというものである。
ただし,この目的効果基準は,適用のあり方次第では,国家と宗教の緩やかな分離を是認することになるので,1の憲法の趣旨を踏まえて,厳格に適用することが必要である。判例のこの基準の通用のあり方に対しては,ゆるやかな分離を容認するものとして,学説の批判が強い。