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憲法三条の内閣の責任とは?解説


本問は,内閣の責任について論述を求められているが,「憲法三条の」という限定がついているので, 憲法三条の解釈が問われていると考えてよい。したがって,同条を解釈する上で問題となる点を順に論 じていけば足りると思われる。



まず,本条の定める内閣の「助言と承認」の性質,「国事に関するすべての行為」の意義などについ て,憲法四条一項の「天皇は......国政に関する権能を有しない。」という規定と関連して,解釈上争い がある。
1 第一説は,国事行為が本質的には国政に関する決定権を含むものであると解し,天皇に一定範囲 で統治権を認めるが,国事行為は憲法に列挙された事項に限定され,それ以外の残余権は否定されるほ か,国事行為についても内閣の助言と承認によって常に拘束されるとする。これは,内閣の助言と承認 の制度を伝統的意味における大臣助言制と同義に解するものであり,四条一項の「国政に関する権能」 を有しないとは「『その他の』国政に関する権能」を有しないということになる。
第二説は,国事行為を形式的・儀礼的行為と解する立場であり,国事行為を「国政に関する決定権」 を含まない,単なる「行為」権と解し,名目的にも天皇統治権を有しないとする。もっとも,その中 でも理由付けに相違があり,A 説は,国事行為とは,実質的に他の機関が決定した事項を形式的・儀礼 的に表示する行為にとどまるとする。そして四条一項により認められる「国政不関与の原則」によって, 六条,七条の国事行為は本来的に形式的・儀礼的行為とみなされるとする。
B 説は,六条,七条の列記 事項の中には,国会の召集,衆議院の解散などのように実質的に国政に関する権能も含まれるとするが,これらはすべて内閣の助言と承認が必要であり,その助言と承認の中に実質的決定権が含まれるから, 結果的に国事行為は形式的・儀礼的行為になると説明する。
2 第一説に対しては,四条一項を「『その他の』国政に関する権能」を有しないと解するのは無理が あるとの批判がなされている。また,第二説の A 説に対しては,本来形式的・儀礼的行為でしかないは ずの国事行為に,なぜ内閣の助言と承認が必要なのかという批判,さらに,国事と国政は必ずしも区別 できず,「行為」も「権能」を前提とすることから,四条一項から「国政不関与の原則」を読みとるの は問題であるなどの批判がある。第二説の B 説に対しては,国事行為の概念は「内閣の助言と承認」と は別個に,それ以前から存在するものであって,引き算の結果が国事行為となるとするのは不自然であ るとの批判,それから,四条一項から「国政不関与の原則」を読みとるのは問題であるという A 説に対 するものと同じ批判がある。
3 多数説は国事行為を形式的・儀礼的行為と解する第二説であり,A 説,B 説ともに有力のようであ る。A 説の立場からは,内閣の助言と承認が無意味な手続となったとしても,歴史的背景などから考え ると,天皇の存在そのものを法的には無意味なものとするところまで君主制の名目化をおし進めたのが 日本国憲法であるから,三条が,天皇の行う国事行為に対する内閣の助言と承認を,法的には無意味な 形式手続であることを承知の上で規定したとみる考えには十分の理由があると反論する。
4 なお,どの見解にたっても,内閣の助言と承認に対して天皇が拒否権をもたないということにつ いて異論はない。


次に,内閣の「助言と承認」の意味及び「国事に関するすべての行為」の解釈について検討する。
1 まず,内閣の助言と承認の意味について争いがある。「助言」とは内閣が天皇に対して一定の行為 をなすべきことを申し出ること,「承認」とは天皇から内閣に対して一定の行為をなすべきことを提案 した場合に内閣が同意することをそれぞれ意味するから,いずれか一方があれば足りると解する X 説,「助言」を事前の同意,「承認」を事後の同意と解し,「助言」と「承認」の二つの行為が必要であると 解する Y 説,「助言」と「承認」は,「助言と承認」という不可分一体をなす一つの行為と解する Z 説の 三説がある。
天皇が内閣の助言と承認に絶対的に拘束されると考える以上,そのような「助言と承認」 について,わざわざ事前と事後を区別し,その両方を要求するまでの必要はないし,天皇からの提案を 認めることは,天皇をまったくの形式的・名目的存在にしようとした憲法の根本的立場と合致しないと いう理由から Z 説が妥当であろう。この説が多数説であり,実際の運用上もこのように理解されている。
2 次に,この内閣の「助言と承認」はすべての国事行為に必要か否かが問題となる。 三条は「国事に関するすべての行為には,」としてこれを必要としているが,前記第二説の B 説から は,不要な場合があるという。つまり,衆議院の解散のように実質的決定権者が明示されていない場合 には,内閣の助言と承認の中に実質的決定権が含まれると解するが,内閣総理大臣の任命のようにすで に国会の指名によって行為の内容が確定している場合には,閣議決定の余地はなく,助言と承認は不要 と考えられるというのである。これに対し,前記第一説と第二説の A 説はすべての国事行為について助 言と承認が必要であると解する。


最後に,内閣の責任の性質及び相手方などについて検討する。
1 まず,本条の内閣の責任の性質はどのようなものか。
内閣の責任に関しては,本条のほかに,憲法六六条三項が「内閣は,行政権の行使について,国会に 対し連帯して責任を負ふ。」と規定している。通説は,この行政権の中に,三条の「助言と承認」の権 能も含まれていると解しており,三条の責任と六六条三項の責任とは同じものであると考えている。
そうすると,三条の責任は,六六条三項と同じように,責任原因が行為の違法性に限定されているわけで はないし,責任の内容も法定されていないから,その意味で法的責任ではなく政治的責任と解される。 このことは,内閣が,その助言と承認の違法性についてのみならず,その不当性についても批判を受け るべき地位にあることを意味する。 また,その責任の形式は,六六条三項と同じく連帯責任であって,助言と承認の閣議での決定は全員 一致を要するものとされている。
2 三条は,六六条三項と異なり,責任の相手方を「国会」と明示していないが,両者の責任は同趣 旨のものと解されるし,国会が国民の代表機関であり国権の最高機関であることから考えると,三条の 責任も「国会」を相手方とするものと考えられる。 3 天皇が助言と承認について拒否権をもたず,それに全面的に拘束される立場にあることから考え ると,内閣は,天皇に代わって天皇の行為の責任を負うのではなく,自ら行った行為である助言と承認 について本来的な責任を負う。