司法試験の勉強会

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訴因制度と当事者主義との関連について解説

公訴事実と訴因

大陸法系の刑事訴訟には,公訴事実という概念が存在するのみであり,公訴提起の効力,審判及び判 決の効力の各範囲は,この概念により一律に限界付けられる。大正 11 年,ドイツ法の影響を受けて制 定された我国の旧刑訴法はこの型に属する。  
一方,英米法系の刑事訴訟には,公訴事実という概念はなく,訴因という概念のみ存在し,同様に審 判の範囲等を律している。
これに対し,昭和 23 年,アメリカ法の影響を受けて制定された我国の現行刑訴法は,旧法以来の公 訴事実の概念を維持しながら,「公訴事実は,訴因を明示してこれを記載しなければならない」(法二五六 条三項)と規定を置いて,新たに訴因制度を採用した。ここに,公訴事実と訴因の関係をめぐり困難な問題が生じて来た。

2 公訴事実と訴因との関係について最も根本的な問題は,審判の対象は公訴事実か訴因か,という形で 提起される。そしてこの問題は,次の二つの面を持つ。即ち,審判の対象の性質いかんという面―審判 の対象は嫌疑なのか主張なのか―と,審判の対象の範囲いかんという面―裁判所が審判の権利を持ち義 務を負う範囲は,公訴事実の全体に及ぶのか,訴因に限られるのか―である。そして,この二面は互い に関連している。審判の対象が嫌疑だとすると,その嫌疑全体,即ち公訴事実全体が審判の対象となろ う。この立場に立つと,訴因とは嫌疑がどのようなものであるかを明らかにするための手段ということ になる。この立場を公訴事実対象説と呼ぶ。これに対し,審判の対象を検察官の主張だとすると,主張 されているのは訴因ゆえ訴因が審判の対象となる。この立場を訴因対象説と呼ぶ。

職権主義と当事者主義

職権主義とは,裁判所が主体となって,積極的に職権を行使しつつ訴訟を主宰し進行せしめていく形 態,当事者主義とは,当事者の積極的な訴訟活動を中心に訴訟を進行していく形態,と一応定義付ける ことができよう。

1 これを裁判所(官)と検察官との関係という側面から見ると,職権主義の特色は,「嫌疑の引継ぎ」,即 ち,検察官はもちろん事実を探究するが,裁判所も,検察官の探究の結果を前提とするだけでなくこれ を引継いで自らも探究を行い,この両者の間に本質的差異がない,という点にあるといえる。  
旧法の下では,検察官は公訴提起と同時に証拠を裁判所に提出し,裁判官はこれを見た上で公判に臨 み,自ら事実の探究にあたる,という制度をとり,職権主義の様相を強く呈していた。このような制度 の基礎にあるのは,訴訟の中核をなすのは嫌疑であり,この嫌疑の発展過程―即ち,捜査の開始から判 決の確定まで検察官,裁判所の段階を通じて一本の連続した嫌疑が発展して行く過程が訴訟の実体であ る,という理論である。従って,起訴状の犯罪事実は嫌疑を表示したもので,一件記録とあいまって嫌 疑を裁判所に伝達する手段といえよう。  
現行法の起訴状一本主義の下でこの考え方を維持するとすれば,起訴状に記載された訴因は嫌疑を伝 達する手段であり,訴因は嫌疑を化体したものだということになる。「訴因は実体形成の手続面への反 映である」というのは,このような考え方を表わしたものである。

2 これに対し,当事者主義の特色は,「嫌疑の断絶」,即ち有罪無罪の認定をより慎重に,より公正にす るために,事実を探究する者と事実を判断する者とを明確に区別し,裁判所の判断者としての地位を純 化した点にあるといえる。けだし,事実の探究者と判断者の双方の立場を一身に兼ね備えると,誤りに 陥りやすいからである。  
現行法は起訴状一本主義をとっており,公訴提起に際しては,裁判所に証拠が提出されず,裁判官は 白紙の状態で公判に臨み,公判廷でも原則として当事者が提出する証拠のみを取調べ,証人尋問も主と して当事者が行い,裁判所は原則として自ら新しい事実を探究しない,という制度をとる。この制度の基礎にあるのは,捜査機関の持つ嫌疑と裁判所の持つ嫌疑との間には断絶がある,という理論である。 従って,訴因は嫌疑の化体であってはならないはずであり,訴因は実体形成の反映ではなく,その目標 としての意義を有する。即ち,訴因は構成要件に該当する具体的な事実だが,存在する事実,証明され た事実ではなく,主張された事実にすぎない。

訴因制度と当事者主義

1 右に述べて来たことからも明らかなように,審判の対象を公訴事実ととらえる説は,訴訟構造につい て職権主義的考え方をとる。けだし,公訴事実が審判の対象であるとする以上,裁判所は,訴因の枠を 超えて積極的に公訴事実全体について審理しなければならず,いきおい自らも探究の必要性が出てこよ う。これに対して,審判の対象を訴因ととらえれば,裁判所は,その訴因に対しての当事者の立証が十 分か否かを判断すれば足り,自ら進んでそれ以上の(但し,もちろん公訴事実の範囲内での)探究をする ことを要しない。
訴因制度採用は,このように裁判所を純粋の判断者としての地位に置き,訴訟の当事者主義化を促進 しているといえる。

2 訴因制度採用による訴訟の当事者主義化の例として,訴因変更命令がとりあげられる。法三一二条二 項は,裁判所に訴因変更命令を出す権限を認めているが,この義務性,その効力に関しては争いがある。  
まず審判の対象を公訴事実と考える説は,訴因を変更するのはもともと裁判所であるべきはず,とい う職権主義的考え方を前提とするから,裁判所は「審理の経過に鑑み適当と認めるとき」は,訴因変更 命令を出す義務がある,即ち,法三一二条二項は裁判所の権利を定めると共に義務をも規定する,と解 する。そして,裁判所が右命令を出せば,検察官の訴因変更請求等の手続を経ずに訴因が変わるとして, 右命令に形成力を認める。けだし,そう解しなければ,公訴事実全体にわたって審理を尽くすべき裁判 所の義務が果たせないからである。  
これに対し審判の対象を訴因と考える説は,裁判所には訴因変更命令を出す義務は原則としてなく, かつ訴因変更命令にも形成力はなく,検察官の訴因変更請求をまってはじめて,訴因変更の効果が生ず るとする。訴因変更は,原則として,当事者(とりわけ検察官)にゆだね,それがない限りは,裁判所は 当初の訴因に対応する証拠があるか否かのみを判断すればよく,判断者に徹底できる,という考え方を 基礎にしているといえよう。