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民事訴訟法一八六条について解説

一問 甲は,昭和55年3月3日乙との間で甲が乙に中古貨物自動車一台を売る旨の合意をしたが, 乙が右代金を支払わないと主張して,乙に対し右売買代金八〇万円の支払を求める訴を提起した。 乙は,甲から右自動車一台を代金八〇万円で買い受けたことは認めるが,右代金は全額甲に支払 ずみであると主張した。裁判所は,証拠調を実施したが,右代金支払事実の存在についていずれ の心証を得ることもできなかった。この場合,裁判所は,どのような判断をすべきか。

 

 

(一) 民事訴訟法一八六条は,判決の基礎をなす事実の確定に必要な資料(訴訟資料)の提出を当事者の権能 と責任にするたてまえをとっている。これを弁論主義という。法が弁論主義を宣明していることの根拠 については,これを私益に関する事項は当事者の自由な処分にまかすべきであるという,私的紛争解決 を目的とした民事訴訟の本質的性格に求める立場(兼子一),私的紛争では,当事者の利己心に依存して 有利な資料の提出をさせることが真実発見のために合目的的であることによるとする立場(三ケ月章)と がある。後説は釈明権の行使を積極的に認めようとする意図によるが,職権探知主義をとる訴訟でも, 後説の指摘はあてはまるのであり,後説はむしろ弁論主義によっても真実発見を抛棄するものではないことを明らかにするものである。 この弁論主義の結果,主要事実は当事者が口頭弁論で陳述しないかぎり判決の基礎とはならないこと になる。すなわち,有利な主要事実を主張しない限り,その事実は訴訟上の攻撃防禦の範囲外に存する という不利益を受ける。このことを主張責任という。この原則は,争点の形成を当事者の意思に委ね, 争点の範囲を明示する機能を有する。そのことから,ある主要事実を,当事者のいずれが主張すべきか という主張責任分配の問題が生じるが,一般にこれは証明責任の分配と運命を共にすると考えられてい る。 そこで,主要事実とはどのようなものかが問題となる。主要事実は,一般に権利の発生消滅という法 律効果の判断に直接必要な事実といわれ,間接事実すなわち主要事実を推認させる事実と対立する概念 といわれている。これは,後述する法律要件説に由来する考え方であるが,法律効果を導出する要件事 実が,過失とか正当事由などのように,抽象的事実の場合に,このような考え方では基準を示すに至っ ていないという批判がある。この批判は,さらに証明責任の分配基準,間接反証など困難な問題を提起 するが,直接本問では関連がない。


(二) 次に訴訟における審判の対象についても,検討しておく必要がある。審判の客体,すなわち訴訟物は, 法律上の主張,権利主張であって,実体法上の請求権と同一に考えられている。 しかし,近時,ドイツにおける訴訟物論争,すなわち,請求を被告にむけられた,権利,法律関係の 主張と解する立場(権利主張説)と,裁判所にむけられた特定の形式の判決を要求するものと解する立場 (要求説)との対立から,後説に従って,審判の対象の基準の考察につき,審判の対象は裁判所に対する 要求であり,そのため給付訴訟,確認訴訟・形成訴訟という訴えの形式により,請求概念を再構成する 考えを基礎として,新しい訴訟物の把え方が提唱されている(三ケ月章,新堂幸司)。この考え方は,主 として,給付訴訟の場で意義を有し,請求権を包括する上位概念として給付を求める一個の法的地位を 請求の単位とし,紛争解決の一回性を強調する。周知の新訴訟物理論であり,実体法上,請求権競合の 問題とも深く関わってくる。 しかしながら,ここでは,前述の通説の立場から訴訟物を考えることにする。そうすると,甲は乙に 対し売買代金の支払を求めているから,訴訟物は売買代金請求権ということになる。


(三) そこで,すでに述べたところに立ち返って,売買代金請求権にもとづく本件訴訟で,当事者の主張し ている主要事実を考えなければならない。売買代金請求権の法律効果を生じさせる事実,及びこれを消 滅させる事実が,主要事実となることは,前に(一)で述べたところより明らかである。従って,売買代 金請求権は,売買契約によって生じるものであるから,甲乙間の売買契約が主要事実となることは間違 いない。問題は,乙が代金を支払っていないことであるが,乙の代金支払の事実の存否にかかわらず, 売買契約が在すれば代金請求権は発生し,代金の支払によって同請求権が消滅すると解すべきことは, 弁済が民法上債権消滅事由として定められていることよりしても明らかなのだから,主要事実は,むし ろ,乙が代金を支払ったことということになる。このことは,後述する,法律要件説の面からも肯認し うる結論なのである。


(四) 訴訟において,主要事実の存否について認定がなされ,その結果形成された心証により,判断が形成 されていくのであるが,ある主要事実について存否不明の場合,これを抛置したのでは,当事者の紛争 解決という訴訟制度の目的は達成しえない。そこで,主要事実について真偽不明の場合,当事者の一方 に,その事実を要件としているその者に有利な法律効果が認められないと扱い,ある種の不利益を負わ せることで,判決を可能にしている。この不利益を証明責任という。さらに,訴訟の進行に応じて,証 明責任を負担する側が立証に成功すると,反対当事者が反証を余儀なくされる。このような,審理過程 を通じて,挙証の必要性が当事者の負担となることを把えて,本来的意味の証明責任を客観的挙証責任, この意味での立証の必要性を主観的挙証責任として区別する立場もある(三ケ月章)。 そこで,証明責任を当事者にいかに分配するかが問題となる。証明責任の分配については,通説は法 律要件説のもとに,各法案の要件の定め方や,法条適用の理論的順序から分配するかを定め,当事者は 自己に有利な法律効果の発生を定める法条,つまり権利根拠規定の要件について,証明責任を負い,但 書はこれを争う相手方が証明責任を負う。権利根拠規定の法律効果の発生を妨げたり,その効果の消滅 させたりする,障害規定,権利消滅規定についての要件については,争う相手方が証明責任を負うと説 いている。これに対して,近時,基準の曖昧さを指摘し,証明責任の分配は,立証の難易,証拠との距 離を基準に決すべきで,法条の要件の性質は,逆に証明責任の分配より決せられるとする批判がある(石 田穣)。 しかし,なお通説に従うならば,すでに述べたように,売買契約の要件は権利根拠規定であり,甲に 有利な事実であるか,甲が証明責任を負担し,乙の弁済の要件は,乙の証明責任ということになる。従っ て,弁済については真偽不明なので,乙の敗訴となる。


(五) なお,弁論主義は,当事者に審判の範囲を限定する機能を認めていることは前述したが,さらに,審 判の内容も決定する権能をも,当事者に認めている。民事訴訟法二五七条は,当事者が自白した事実は 証明を要しないと定める。同条は,消極的な表現をしているが,裁判上の自白がなされた事実は,裁判 の基礎としなければならないという,裁判所の認定の制約を意味しているのである。そして,自白とは, 当事者に不利な事実を認める陳述なのであるから,本問では,乙は甲の主張する売買契約の存在を自白 していることになる。従って,裁判所は売買契約の存在を認定しなければならないことになる。