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自由心証主義の例外とは?わかりやすく解説

(一) 刑事訴訟法三一八条は,証拠の証明力は,裁判官の自由な判断に委ねるとして,自由心証主義を宣明 しているが,この原則に対する唯一の例外は,同法三一九条二項に定めるところの,自白に補強証拠を 要求していることである。
法が,このように自白に補強証拠を要求している趣旨は,一つには,任意に なされた自白であってもその真実性に疑問のある場合が多く,また,自白を獲得するためだけを主眼と した捜査活動を防圧することを目的としていることにあるわけである。
刑事訴訟法のこの規定は,憲法三八条二項を受けて定められたものであるが,判例(最判昭和 23 年7 月 29 日)は憲法上の要請は公判廷における自白の場合にはあてはまらないとしている。しかし,刑事訴 訟法上は,公判廷の自白の場合にも補強証拠を必要としているため,右判例によっても運用上差異は生 じないのである。


(二) それでは,どのような証拠が補強証拠となりうるのであろうか。刑事訴訟法は,自白と不利益な事実 の承認(同法三二二条)とを区別している。
不利益な事実の承認は,犯罪事実を認めるものではないが,被 告人が自己に不利益な事実を供述しているもので,被告人自身それが自己に不利益な事実であることを 意識することなく供述しても構わないと解されている。
しかし,不利益な事実の承認も,被告人本人の 供述ということでは,自白と差はなく,独立性を有するものとは考えられないから,これをもって,補 強証拠となりうると考えることには無理がある。もっとも,被告人が作成した会計帳簿,商業帳簿など が,刑事訴訟法三二三条によって証拠能力が認められる場合には,補強証拠としてよいように思われ, 判例もこの理を認めている(最決昭和 32 年 11 月2日)。
刑事訴訟法三二三条によって,証拠能力が認め られるについては,その書面が捜査と無関係にこれを意識せずに作成されたため,高度の証明力を有す ることから根拠づけられると解するのが相当であるように思われ,そうだとすると,自白について考え られる虚偽の怖れというものは,この場合に考えられないといいうるからである。
次に,共犯者の自白が補強証拠となりうるかが問題となる。判例は,補強証拠となりうることを認め ている(最判昭和 33 年5月 28 日)。しかし,学説の中にはこれに反対するものもある(団藤重光)。すな わち,自白偏重の怖れは共犯者の自白にもあてはまることであり,本人が否認し,共犯者が自白してい るときには,本人が有罪となる一方で共犯者は無罪となり不合理な結果を招来するというのである。
だが,共犯者の自白のみならず,無関係の第三者の自白が証拠となることもあり,この場合は,右学説は これを補強証拠となりうることを認めるのであろうから,自白偏重の危険は拡張して考えればこの場合 にもあてはまることであるし,この学説も本人と共犯者との間の共犯関係については補強証拠を必要と するとまでは説かないのであり,却って,共犯者の自白については本人が反対尋問をする機会も与えら れるのだから,本人の自白程定型的に誤判の怖れがあるともいえない。
してみると,共犯者の自白も補 強証拠になりうると考えてよさそうである。

 

(三) 最後に,補強証拠はどの範囲で必要とされるのであろうか。学説は罪体すなわち犯罪構成要件の客観 的側面について,その全部が少なくとも重要な部分に必要とすると説いている。これに対して,判例は「自白にかかる事実の真実性を担保しうるもの」(最判昭和 25 年 10 月 10 日)としている。 犯罪の主観的側面,つまり故意とか目的について補強証拠を要するとすると,有罪か無罪かが偶然性 によって決されてしまうため,これを要しないとすることにはほぼ争いがないようである。
被告人が犯 人であるということについても,同様の考えで補強証拠を要しないと解してよいであろうが,単に構成 要件上の結果が発生したというのみでは足らず,何人かの犯罪によってそれが生じたものであるという ことについては,補強証拠を要するというべきであろう。
また,犯罪構成要件以外の事実,累犯加重と か処罰要件などについて,補強証拠を要しないことはもとよりであろう。 構成要件の客観的側面にどの程度の補強証拠を要するかについては,判例の趣旨を尊重しつつ,通説 に従い,罪体の重要な部分に必要とすると解すべきように結論したい。