司法試験の勉強会

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違憲審査制(憲法八一条)とは?わかりやすく解説

違憲審査制の根拠

憲法八一条は違憲審査制を定めている。この制度の根拠として

(i)法理論的根拠として,憲法最高法規

(ii)政治的,制度的根拠として権力分立原則

(iii)実際的な根拠として,人権の保障が挙げられている。

 比較法的にみれば,少なくとも戦前のフランス(第三共和政)においては人権宣言以来,人権保障の必要性は当然に意識されていたが,違憲審査制の必要性は全く考慮されなかった。

それは民主主義を実現する機関である議会によって,当然に人権は保障されると考えられていたからである。

つまり,議会に よって実現される民主主義に対する牧歌的なまでの信頼があったのである。

因みにアメリカ合衆国で一九世紀のはじめから違憲審査制をとることが可能だったのは,議会主義の権化であるイギリスから独立したことによる議会に対する不信感情と司法裁判所の権威の強さ(ないし国民の強い信頼)があったからなのである。

ところが戦後,フランスでも,裁判機関ではなく政治的機関であるが,憲法評議会(憲法院)ができて立法の合憲性をチェックするようになり,さらに1970年代以降制度の運用として西ドイツの憲法裁判所と同じような機能を果たしている。

フランスに限らず,各国に違憲審査制が採用されるようになったのは戦後のことである。

このように変化したのは,社会が複雑化に伴い,価値観が複雑化し, 議会による人権保障に無限定な信頼を寄せることが困難になり,また第二次大戦前のナチズム等のように,憲法が保障する価値に真っ向から対立する勢力の台頭があったことから,憲法を守らなければならないという気運が強まったことによる。

そのため各国でも,憲法改正の手続を厳重にするなどして憲法最高法規性を実質的に担保し,議会以外の公正さを保障された即ち政治過程とは原則として別系統の機関に対し,法令等の合憲性を判断させて機関相互のチェック,バランス機能をもたせ,憲法が実現しようとする価値を守ろうとしたのである。

そして,このような制度が可能になったのは,戦後,民主主義に対する理解が深まり,民主主義とは,単に多数者支配を実説するための制度ではなく,その最終目的は国民の権利,自由の保障であるという立憲民主政の考え方が意識されるようになったからであるといえよう。

 二つの違憲審査制

比較法的に見るならば,違憲審査制には二つの型があると言われている。

アメリカ合衆国に代表されるような,通常の司法事件を解決するにあたって,法令等の合憲性が問題となった場合に,具体的な事件解決に必要な限度で違憲審査を行わせる型(付随的違憲審査制)

西ドイツに代表されるような,具体的事件とはかかわりなく憲法判断が行われる型(抽象的違憲審査制)である。

その特色について概観すると,前者は違憲審査をするには,法律上の争訟つまり具体的な事件を前提としなければならず,違憲の主張をするのは法律上制限されていないが具体的事件につき当事者であることが必要であり,また 違憲判断をなしうるのは司法作用を行うすべての裁判所に分散され,また違憲判断の効力は原則として当該事件に限られる(一般的効力説)。

後者は,違憲審査をするのに具体的事件は前提とならず,違憲の主張をなしうる者(提訴権者)は原則として一定の者に限られ,憲法判断をなしうるのは,憲法に定められた憲法裁判所(司法裁判所ではなく特別裁判所にあたる。)に集中され,また違憲判決の効力は,法令そのものを客観的に無効にすることになる(一般的効力説)。

そして,少なくとも理念としては,前者は, 個々の人権侵害に対する救済を第一義とし(私権擁護型),後者は憲法秩序の維持そのものを本来の目的とする(憲法保障型)。

わが国の違憲審査制が,右のいずれの型を採用しているかについては争いがあったが,通説は,八一条が「司法」の中にあり,司法についての伝統的な解釈によれば具体的事件性が必要であること,ボン基本法に定められているような提訴権者,判決の効力等基本的事項について規定されていないことなどの理由から付随的違憲制を採用したものであると解している。

但し,右の二つの型は少なくともその機能について合一化の傾向にあると指摘されている。

例えば, 違憲判決の効力について機能的には一般的効力説的な機能を果たす。最高裁裁判事務処理規則一四条が, 違憲判決の要旨の官報による公告,内閣,国会への裁判書正本の送付を定めていたり,また違憲とされ た刑法二〇〇条が検察実務で適用されないことなどにその例がある。

付随的違憲審査制であることにより,違憲審査をするにあたって,通常の訴訟事件と同じく,事件性, 当事者適格が必要になる。また,憲法問題について判断しなくても事件そのものが解決できるような場合,憲法判断を回避することが可能になる(このような場合,憲法判断を回避すべきであるという考え方 を,司法消極主義という。)。

違憲審査制の対象

違憲審査制の対象としては,条約がこれに含まれるかが問題になる。

この問題は,憲法と条約の優劣関係とも関係がある。

条約優位説に立てば,問題なく対象にはなりえない。

憲法優位説に立っても,条約が対外的な活動であることから,当然に対象になると解するわけにはいかない。

審査が可能であると解する見解は,条約を国際法的効力と国内法的効力とに分けることができ,国内法的効力の側面につい ては法律に準じて違憲審査が可能であると解している。

二つに分けることができないと解すれば,条約 の国家間の合意という側面から審査できないと解することになろう。

 

違憲審査の限界

この問題は,これまで,統治行為(近時は,アメリカ法の「政治問題」という用語を使うことが多くなった。)を認めるか否かという形で議論されていた。

統治行為とは,判例のことばを借りるなら「直接国家統治の基本に関する高度に政治性のある国家行為」で「それが法律上の争訟となりこれに対する有効,無効の判断が法律上可能」であっても,「裁判所の審査権の外にある」国家行為を指す(苫米地判決)。

近時は,これをさらに分析して,各機関の自律権に属するもの(例えば,国会議員の懲罰,議事に定足数を欠いたかどうかの認定等)及び各機関の自由裁量に属するもの(例えば,国務大臣の任免等,立法裁量 もこれに属すると論じられることもある。)については,従来統治行為論で論じられているが,これらについては統治行為から除外して考えて,各々の制度趣旨を根拠に司法審査の対象外とし,残ったものを 統治行為論で論ずるのが近時の有力説である(具体的には外交活動に関するもの等が指摘される。)。

統治行為が司法判断の対象外になるかについては,肯定説(さらにその根拠として,憲法のとる民主政, 権力分立制からくる内在的制約であるとする見解と裁判所の裁量的自制であるとする見解がある。)と否定説がある。

政治部門の活動やその判断について,裁判所が一定の配慮をなすことが必要で,軽々に判断すると裁判所が政治の渦中にまきこまれ,自らが政治化する危険がある場合も否定できない。

その根拠を内在的制約に求めるにせよ,自制に求めるにせよ(両説が相互に矛盾するとは必ずしもいえない),肯定説が通説である所以である。